フィリピン日記 20160503

 

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2016年5月3日(火)

朝はなかなか起きられなかった。どういうわけだか体中が痛い。外はピカピカに晴れていて、むちゃくちゃ暑そう。シャワーを浴びた顔がむくんでいる。
長期滞在用のサービスで、今回はなんと朝食チケット付き。階下のカフェに降りてベジタブルオムレツとコーヒーをとる。

10時からJKの家でミーティング。ホテルのそばでトライシクルを拾う。Magiting (マギティン)通りまで約5分、20ペソ前後。最初に来た時はやたらとボラレて悔しい思いをしたが、やはりこちらの態度を見ているのだろう、今はほとんどそういうことはない。とはいえ、おそらく適正価格(現地の人が一人で乗る場合の最安値)は17ペソ。上乗せしたくなる気持ちも分かるし、ちょっともじもじして「…20ペソ」とか言うので、まあいっか、と思っている。しかし最初の頃は、夜中だと30ペソとか40ペソとか言われて、くやしくて乗車拒否(私が)とかしていたのだ。
この「価格」の話はちょっと書きたいことがあるので、また後日。

JKの家の一階にあるLDKは、午前中は日陰になって涼しい。JK、JKの生徒であるコンテンポラリーダンサーのAaron、俳優のJelo(二人とも10代)、SipatのメンバーであるClydeが朝食のシナボンを食べていた。ナツキも食べな〜とすすめられて、つい口にしてしまう。こちらの料理やお菓子は甘いから糖分のとりすぎに注意しようと思っていたのに、さっそく挫折しつつある。

2階の一室、通称ミーティングルームでJKと打合せ。ここはすでにKARNABAL2016の司令室のようになっていて、壁にはスケジュールやタスクがパリッと貼り出されている。まだそこまで荒れてないのが「1ヶ月前」という感じ。扇風機が回っていても、じわじわと汗が噴き出してくる。

昨年のKARNABAL2015のInternational Exchangeという国際交流プログラムで、私はAnino Shadowplay Collectiveという影絵のアーティスト集団とコラボレーションすることになった。3年かけて実現したいプロジェクトを提案する、というのが昨年のお題で、私たちは走馬灯をモチーフにした円形のスクリーンと、その内外をシームレスに移動しながら上演・鑑賞できる観客参加型の影絵を、マニラのあるコミュニティ(当初の案はフィリピン大学キャンパスに家を建てて住んでいるsquatterたち)と一緒に「彼ら自身が死ぬ前に見る走馬灯として」創作するプロジェクトを提案した。

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(昨年のプレゼンテーションの様子。photos by Jordan Prosser)

これに対してJK(つまりフェスティバル側)から提案されたコミュニティが、ACAYというNGOだった。KARNABALの開催エリアに、虐待からレスキューされた10代〜20代前半の女の子たちが社会復帰を目指して暮らすACAYの家がある。

2016年1月にリサーチのためマニラを訪れた際、AninoのメンバーであるTita TenyとAndrew、JKと一緒にACAYを訪問した。職員でありソーシャルワーカーのLourraineはプロジェクトに前向きで、実際にそこで暮らす20人近い女の子たちとも話をした。ただその時にLourraineから私たちに対して、「“死”という言葉を避けてほしい」という要望があった。

走馬灯というモチーフは、死生観と関係が深い。そもそもこのコンセプトが出てきた前提には、私とAndrewが最初に会った時に交わした前世に関する会話がある(詳しくはたぶん別の日に)。だからけっこう衝撃的な依頼だったのだけれど、とりあえずはやってみようということで、帰国後に“死”を“再生(rebirth)”に置き換えた別のコンセプトに翻案して、再提出していた。 ただお互いの顔が見えない状況で、英語でのやり取りは思った以上にハードルが高かった。Aninoからのフィードバックは、私の企画書のほとんどの部分を削除したバージョンだった。

おそらく私のイメージしている走馬灯(日本的な文脈と、個人的な文脈が入り混じった)のニュアンスがうまく伝わらず、Aninoは少女たちが(死に直結する形で)現実逃避することを促してしまうのではないか、と懸念していた。またAninoは少女たちとの共同作業に対してかなり慎重になっていて、それはもっともなことだとも思った。

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私はフィリピンの社会的背景も、彼女たち一人ひとりの体験についても知らない。言葉で教えてもらったとしても、それをいわゆる“ステレオタイプな”形で想像することさえ難しい。 そしてたぶん、私の考えている“ステレオタイプな”走馬灯のイメージだって、まったく新しい概念みたいに説明し直さないと伝わらないのだ、というあたりまえのことを実感した。
なぜかといえば今日JKと、お互いの使う言葉を、社会的・文化的文脈にさかのぼって、ひとつひとつ解きほぐすように話をして、もともとのコンセプトがようやく伝わったから。

JKの意見から、フィリピン社会の死生観にはカトリックの影響が根深いこと、彼女たちは“死”と向き合うことでかなりの恐怖を感じるかもしれない、ということがだんだん分かってきた。ハイリスクではあるし、最終的な判断はACAYに委ねるしかない。が、コミュニケーションの取り方に細心の注意を払うことで可能だと思う、チャレンジする価値がある、という意見は私もJKも同じだった。

意味論を専攻していたSipatのメンバー、Meilaに参加してもらってはどうか、という提案がJKからあり、手詰まり感があったワークショップにも少し光明が差してきた。Meilaは出産したばかり。ACAYの女の子たちとの共同作業で、いい空気をつくり出してくれそうな予感がある。

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ミーティングが終わると、JKが階下でエクササイズをやってるから参加するかという。ヨガかと思って気軽に参加してみたら、結構ガチなダンス・トレーニングだった。隣でやっていたJKは「ぼくはもうコンセプチュアル・アーティストでいい!」と悲鳴を上げていて、私も同感。あっという間に汗だくになって30分ほどで脱落。Ireneが用意してくれた昼食を食べ、シャワーを浴びにホテルまで戻る。

新しいJKの家とホテルの位置関係を確かめたくて歩くことにしたが、外は真昼の午後2時半。今年は異常気象のためものすごい暑さで、少し前には最高気温45度を記録したらしい。さすがにフィリピンの女性たちも日傘を差している。Malingap(マリンガップ) 通りには、やたらおしゃれなカフェやレストランが増えたような気がする。以前は気づかなかっただけだろうか。

シャワーを浴びた後は、疲れ果てて17時頃までうたた寝してしまった。起きたらようやく日暮れ時、まだじわじわと汗が出る暑さ。階下のカフェで、JKたちのミーティングが終わる20時まで日本の仕事をする。

すっかり暗くなってからJKたちと合流し、懐かしのMaginhawa(マギンハワ)通り近くにあるBig Bというハンバーガーショップで夕食をとった。「BLUE ナントカ」というドリンクがあって、飲む人のemotionに合わせて作ってくれるというのでカクテルかと思って頼んでみたら、店員が卓までやってきて「どんなemotionがいいか」と訊く。センチメンタル、と頼んだら、おもむろに席に腰かけてアンニュイな表情で誰かを待つような仕草をし始め、やがて泣き出して、そのままブルーハワイ色の液体(ノンアルコールの砂糖水)をボトルについでくれた。まさかの演劇付きメニュー。半分も飲めなかった。

Maginhawaは昨年より洗練された雰囲気になっていて、活気があった。大きくてまるでカフェみたいなコインランドリーには家族連れや若い人がたくさんいて、全部の洗濯機が回っていた。7.5ペソ/キロ。レストラン、カフェ、バーには必ず通りにはみ出したテラス席があって、10m歩くごとにJKの友だちに出くわした。つまりは20代のアーティストやクリエイターたちがたむろしているということ。

そのうちの一人の男性について、あとでJKが「彼はぼくの生徒だった」と教えてくれた。すごく才能のある俳優だったけど、14歳の頃から悪い友だちができてお酒を呑んだりし始めて、ジョリビーでアルバイトを始めて、演劇もやめてしまった。今21歳で、何かしているわけじゃないけど、元気そうでよかった、と。彼のストーリーにも心動かされたけれども、「ジョリビーで働き始めた」ことがドロップアウトを象徴することが印象的だった。

帰り道にはJKの好きな人(片想い)の家があって、みんなでピンポンダッシュしようとしたり、彼の車のナンバーにJKの名前が隠れていると大騒ぎして写真を撮ったり、キャピキャピしながら帰った。

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フィリピン日記 20160502

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2016年5月2日(月)

13時30分成田発のフィリピン航空で、マニラのNAIA空港ターミナル2に17時30分に着く。時差は1時間なので5時間のフライト、出発が30分遅れたが到着は予定時刻より少し早かった。

3度目ともなると、着陸直前の飛行機の窓から見える景色にも慣れてきた。飽きたというのではなく、ああこの景色だ、と思う。イミグレーションと荷物受け取りもスムーズに済んで外に出ると、NinyaとDebbieが迎えに来てくれていた。

Ninyaは照明デザイナーで、KARNABALを主催する劇団『Sipat Lawin Ensemble(シパット・ラウィン・アンサンブル)』のメンバー。
マキリンのPHSA(Philippine High School for the Art)出身者ばかりのSipatの中で唯一、別の学校で舞台芸術を学んだ。車が彼女の母校、サント・トーマス大学の横を通過する。この大学は、スペイン統治時代につくられた、アジアで最も一番古い大学らしい。

車内での話題はもっぱら、来週月曜に迫った国政選挙について。「今の有力候補は失言が多くて、彼が大統領になっちゃったらいろいろ問題が起こると思う。6年前に今の大統領が選ばれてから経済がすごく良くなって、みんな豊かになって車が買えるようになったんだよ。そのせいでこの渋滞なんだけど」とNinyaが言う。彼女は終始いろいろと話しかけてくれながら、アジア最悪ともいわれるマニラの渋滞のあいだをスイスイ進んでいく。シェフである父親が長く海外にいたせいで、背が高くて大人びて見える彼女は12歳の頃から車を運転していたらしい。

前回は金曜の同じ時間帯だったのでひどい渋滞だったが、今回は月曜なのでそこまでひどくない。とはいえ、ところどころまったく車が押し合いへし合いしてまったく動かないところもあり、ケソン・メモリアルパークの七色にライトアップされたモニュメントが見える頃には20時を回っていた。

まずは1月のリサーチでも泊まったMatino(マティーノ)通りのホテルにチェックイン。ここは24時間ドアの前にガードマンがいるので、0時を回ってから一人で帰ってきても心強い。
前回は窓がない部屋だったので日中に長時間いるのがつらかったが、今回は通りに面した大きな窓もあり、仕事もしやすそう。嬉しい。JKたちの新しい家でやっているタコパーティに向かった。

新しいJKの家は広くて清潔だと聞いていたが、想像以上だった。大きなLDKと各階にバスルームがある3階建て、6室ある個室のうちいくつかには専用のバスルームもついている。ここに泊まれるならみんなと顔も合わせやすいしベストだったのだけれど、残念ながらボランティアスタッフや先に決まっていたアーティストの滞在予約ですでにいっぱい。フェスティバルディレクターのJK、Sarahに加え、Sipat のメンバーであるAlon、Clyde、Ness、Yenyen、Nessの夫・Ralph、Yenyenの彼氏のSigなどなど、とにかく大集合していて、みんなが全身で「おかえりー!!」と迎えてくれた。

りっきーの企画は関西在住のアーティストたちを加えた『Team Exchanger』として、私も『パラダイス仏生山』で参加しているAAF(アサヒ・アート・フェスティバル)に今年から参加している。キックオフでお会いしたメンバー、Yuko Nexusさんとも再会。りっきーとYukoさんの振る舞うタコの手料理をみんなで囲む。

こちらの人はあまりタコを食べないらしく、りっきーはタコを手に入れよう(捕まえよう)とフィリピン各地を旅している。テーブルの上には、タコを食べない人用の料理もあった。フィリピンの調味料も取り入れたアレンジだったが、大阪に留学していたこともあるJKが「日本的な味付けでおいしいね!」とニコニコしていた。

実は今回、来る前までプロジェクトの重要な部分がいくつか決まっていなかった。とはいえ予定していたワークショップ日程に合わせて航空券をおさえていたので、実施できるかわからないまま、とりあえずフィリピンに来てしまった。
一方で、メールでのやり取りでは限界があって、これ以上は会って話さないと先に進まないとも感じていた。昨年一緒にトライアル版を上演したとはいえ、私も英語が堪能なわけではないし、お互いのこともまだ十分に知らない。企画自体、やや難しい立場の一般人を巻き込むものなので、いろいろと調整や交渉が必要だった。

ところが調整を重ねているうちに、話が当初のコンセプトからだいぶずれてきた。私なりにメールで思いの丈を伝えたつもりだったけれど、相手の意思決定のプロセスが見えないストレスも感じていた。

行きの飛行機の中では、来てからポシャったら、残り1ヶ月でリサーチからやり直そうと腹を決めた。頭のなかでプランBとプランCをいったん描いて、あとは顔を見て出たとこ勝負で話そうと覚悟したら、「そういや、いつもそうじゃん」と思って、気持ちが楽になった。

この日記を書いている時点でまだ、結果はわかっていない。でもJKと会って直接話したことで、同じ懸念を共有できていたことがわかったし、「これはやったらアウトかもしれないけど、やってみたい」と考えているところも同じだった。当初のコンセプトを、彼がよく理解してくれていることもわかった。おかげでだいぶ前向きな気分になり、明朝10時に改めてミーティングをしよう、と約束して、帰ることにした。

帰りがけに近所のガソリンスタンドにあるセブン-イレブンまでYenyenやYukoさんも一緒に歩いて行って、水とチョコとサンミゲルを買った。Yenyenの彼氏はまだフィリピン大学の学生で、人形劇をやっている。日本の文楽や浄瑠璃に興味があって、日本語を勉強しているらしい。前方を歩くYenyenの背中を見ながら、日本語で「彼女は、ぼくの愛(愛=タガログ語でシンタ=恋人)です」と言ったのが初々しかった。

セブン-イレブンからJKの家に帰るみんなと別れて、ひとりでトライシクルでホテルまで帰った。夜道をガタガタと激しく疾走するトライシクルに乗りながら、ああ帰ってきたな、としみじみ感じた。栓抜きがないのでフロントの女性にサンミゲルの瓶を開けてもらい、部屋で飲みながらこの日記を書いている。明日から猛暑のマニラでの一ヶ月半が待っている。

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