フィリピン日記 20160512

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2016年5月12日(木)

コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)が出版した絵本の原画展のオープニングレセプションに参加するため、イントラムロスにあるギャラリー、NCCAへ。一緒に行くはずだったJKは、KARNABALが立て込みすぎてキャンセル。一人ではタクシー代ももったいないので、FXという乗り合いタクシーで行くことに。

Philcoa(フィルコーワ)駅までトライシクルで20ペソ、FXでイントラムロス近辺まで30ペソ。この日に乗ったのは3列シートのバンで、3列目の座席を取り外して(?)ボックス席にして席数を増やしている。助手席には2人、二列目に4人くらい乗るので、11人乗り(運転手除く)?ジープニーもそうだが、乗車人数制限というものはないようで、汗でべとつく肌を密着させて、文字通りぎゅうぎゅう詰めで乗る。

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それでもFXは密閉されていてエアコンも効いているので、排気ガスも吸わなくていいし、とても快適だった。目の前に座っていた学生の男の子が居眠りしていて、他の人の車内電話(遠慮なし)で目を覚ました瞬間、胸の前で十字を切ってからまた眠りこけたのが印象に残った。

この時、フィリピン国内のモバイルデータ通信にもWi-FiにもつないでいないオフラインのiPhoneで、Google Mapだけは表示されることに気づいた。かなり粗々で、細かい道まではわからないのだけれど、ちゃんと現在地の青い丸も表示される。うわー!ちょっと怖い。
後で調べたら、オフラインで表示されるように、特定のエリアの地図を保存できる機能があるらしい。ただし日本では未対応。

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イントラムロスは、スペイン統治時代につくられた城塞都市。途中、警官にナンパされたりしつつ、NCCAギャラリーにほぼオンタイムで到着。スタッフの女性に尋ねると、CGNの反町眞理子さんはまだ到着していない様子。アルマ・キントさんに声をかけると、友だちみたいに歓迎してくれ、席まで案内してくれた。

オープニングでは、アルマさんがワークショップで一緒に作品をつくったコミュニティの子どもたちも出席していた。アルマさんのスピーチに続いて、マリキナ川流域に暮らす人たち、フィリピン大学キャンパス内で暮らす人たち(汚れた川で泳いでいた子たちのコミュニティ)の代表者がスピーチ。すべてタガログ語だが、隣にいたスタッフの女性が親切に通訳してくれる。フィリピン大学は彼らが住む敷地を商業利用しようとしているので、近い将来、私たちは立ち退かなかなければならない、でも別の場所に行って暮らすなんて想像もできない、という男性のスピーチには力があった。

途中で眞理子さんたちCGNが到着し、1月に一緒にコーディリエラの学校を回ったエキがスピーチ。CGNはフィリピン北方のバギオ市を拠点に、先住民族が暮らす山岳地方の環境保全に取り組んでいるNGOだ。現金収入のため畑を作りたくて森林を燃やしてしまう(政府は許可のない森林の伐採を厳しく罰している)人々のために、「お金のなる木=コーヒー」を植えようとコーヒー産業をつくって流通させたり、地域の人たちが環境問題について考え、表現する手段としてアートプログラムなども行っている。
前回のリサーチ時にりっきーやちからさんと一緒にバギオへ行った。その時、CGNのプログラムで、バギオの若い演劇人たちとチームを組んで、環境問題をテーマにした演劇をつくっている小学校(先生と生徒たち)の練習を見て回ったのだった。

眞理子さんは山岳地帯出身のフィリピン人との結婚を機に移住し、女手一つで子どもたちを育て上げたパワフルな女性。エキは自身が山岳地帯出身で、環境破壊の一因である鉱山開発を生業にしてきた家族と訣別し、CGNの職員として働いているアーティストだ。今回展示された絵本の原画も、CGNのサポートする地域の子どもたちがお年寄りに聞いてきた民話を元に、子どもたち自身がソイル・ペインティングで描いたもの。

以前、眞理子さんから、バギオの山奥に住んで紙すきをしている日本人男性・志村朝夫さんの話を聞いたことがあった。今回、影絵の素材候補として、真理子さんにお願いしてサンプルを持ってきてもらっていた。バナナの葉など現地の素材でつくられた和紙数種類を、眞理子さんのご厚意で、無料で譲っていただく。ありがたい。

眞理子さんへのおみやげは、小沢剛の戦争絵画(小沢さんはマニラでもリサーチしている。国立博物館には日本軍の残虐さを描いた絵画を集めた一室もある)の記事が載っている美術手帖と、村上隆の五百羅漢図のミニ図版。実は眞理子さん、小沢剛さんと浅からぬ縁があり、前回会った時に地蔵建立プロジェクトの話をしたのだった。先住民族の暮らす山の宿で。

オープニングでは、眞理子さんの友人で、どちらもマニラ在住歴の長い大井さん・伊藤さんを紹介していただいた。
大井さんは、ソルト・パヤタスというNPOで主に子どもたちのサポートや、女性の収入向上のためタオルや刺繍商品の開発も手がけている。パヤタスはゴミ山で知られているが、ケソンからも近い。今後は文化プログラムも取り入れたいと思って見学に来たと言う。パヤタスの人たちにも走馬灯をつくるプロジェクトに参加してもらってはどうか、KARNABAL後の展開も含めて近々JKと一緒にごはんでも!と盛り上がる。

伊藤さんは長くアジア開発銀行のマニラ本店に勤めた後、今は沖縄の地域文化とフィリピンの農業経済を研究し、フィリピン大学で教鞭も執っている。もしかしたらと思い、フィリピンの人たちがすごく“死”を怖がるようなのですが、アニミスム(精霊信仰)が関係あるのでしょうか…?と相談してみた。
伊藤さんは沖縄とフィリピンのアニミスムにはすごく共通点が多いこと、フィリピンの「タビタビ・ポ」について教えてくれた。

タビタビ・ポ(Tabi tabi po)とは、「ちょっと横を通りますよ(失礼しますよ)」という意味。樹木の精霊や、目には見えない存在のいる場所を通る時に「私もあなたの邪魔をしないから、あなたも私の邪魔をしないで下さいね(悪さをしないでね)」と断る意味がある。電車などで「タビタビ・ポ」と言うと、フィリピンの人は笑うらしい。伊藤さんは、フィリピンの人たちはお化けや精霊をすごく怖がる、それだけ信じているんだろうね、と言っていた。タビタビ・ポ、今度言ってみよう。

帰り際、JKとも親しくKARNABALについても知っているアルマさんにプロジェクトの話をし、アルマさんが(虐待や災害など難しい経験を持つ子どもたちと)ワークショップをする時にはどんなことを大事にしているか、訊いてみた。

「最初はポジティブに始めて、最後もポジティブに終わること。中盤では、もしかしたら彼らの体験や、ネガティブな部分に触れることがあるかもしれない。それでも最後がポジティブなら、心配しなくて大丈夫」

私のまわりの人たちがみんな口々に「アルマさんはすごく素敵な人」と言っていたけれど、なんというかこう、包み込むような、許すような、ずっと前からそこにいたような、柔らかい空気で受け止めてくれる人だった。たとえるなら神社とかにある大木、あんな感じの存在感。

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眞理子さん・大井さん・伊藤さん、CGNスタッフのエキ・カルラと一緒にマカティの日本料理屋に移動。バギオでのレストラン起業を考えているという投資家のコウさんが、料理の味の意見を聞く代わりにご馳走してくれるという。日本料理屋の店構えは居酒屋風で、ラーメン、枝豆、唐揚げ、とんかつ、卵焼きなどが並ぶ。どれも濃い味付けだが、全然期待していなかったので、思ったより美味しかった。

味噌ラーメンをすすろうとしていた時、隣に座っていた眞理子さんが「えっ、蜷川幸雄が死んじゃったって」と声を上げた。店内のテレビに、やせて鼻に管をつけた蜷川さんが大映しになっている。
私が蜷川幸雄を知った時にはすでに「世界のニナガワ」だったけれども、高校に入って演劇部で最初にやった作品が清水邦夫で、そのパートナーだった蜷川さんの「反体制的な演出家」という顔を知った。短く切り取られた生前のインタビューは、この人はずっとずっと、ずっと闘っていたのだ、と訴えていた。演劇をやる人間がいつも闘っているということ、それは私がもっと若い頃、これからも自分は演劇を続けるんだろうなと思った時から、針を飲み込んだように胃の内側から私をチクチクと刺してきた考えだった。

今もまだうまく言葉が出てこない。それは私が「演劇」を引き受けきれていないからなのかもしれない。11歳の頃から25年ほど演劇らしきものをやり続けてきたけれど、いつまで経ってもそれは「らしきもの」なのだった。そしてフィリピンまで来てやっぱり「らしきもの」をやっている。というか、その「らしきもの」が私をフィリピンに連れてきたのだけれど、未だに私は自分が何をやっているかと問われ、「演劇です」と言うたびにハッタリかましているような、後ろめたさから逃れられない。けれど、闘い方が変わったのだ、ということも、いつからかずっと感じている。

帰りは遅くなったので、大井さんがマカティの街角で拾ってくれたタクシーに乗って帰ってきた。乗るときドライバーから、ケソンは遠いから50ペソ追加、とふっかけられたけど、細かいお金が足りなくてもたもたしている私に、結局10ペソおまけしてくれた。怖いことや困ることよりも、優しさを返せなくて戸惑うことのほうがずっと多い。

蜷川幸雄さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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フィリピン日記 20160511

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2016年5月11日(水)

前日のFarewell Beerでビールを飲み過ぎてひどくお腹を壊し、Yukoさんの見送りには行けなかった。夕方までは階下のカフェで仕事をし、夕方涼しくなってからコインランドリーへ。Mainhawa通りに一年ほど前にできたというが、今まで気が付かなかった。フィリピン大学が近いせいか、学生らしき若い人が多い。この前ポスターで見た7.5ペソ/キロというのは最大容量の洗濯物の場合で、私が普段持ち込む量ではコスパが悪すぎた。ただし1時間程度で乾燥まで終わるし、ショップ内に超良好なWi-Fiが飛んでいるので待ちながら仕事ができる。洗濯が終わるのを待ちながら、ACAYワークショップのプログラム案をつくった。

この日は午後9時半から、LourraineがACAYについてオリエンテーションをしてくれる予定。彼女はフィリピン大学の修士課程でソーシャルワークを研究しているので、彼女の授業終了後、という約束だった。
予想はしていたことだが、直前になって「授業が押して9時半に到着できない」というメールが届く。結局、10時半にKei君、JKと一緒にACAYの家へ。

以前も書いた通り、ACAYは虐待やネグレクト、ストリートチルドレンといった環境から救出された少女たちを支援している。他にも、犯罪を犯した少年たちの社会復帰を支援するSecond Chanceというプログラムや、彼らの家族を支援するプログラム、AETA(アエタ、非差別・貧困層の先住民族)を支援するプログラムなどがある。フランスから来た修道女が立ち上げたNGOなので、フランスにも拠点がある。

私たちが注意すべきこととしては、彼女らから何か物をねだられた時は必ずソーシャルワーカーを通すこと、彼女たちが過去に経験したことには触れないこと。
彼女たちのあいだにも「一緒に暮らしている女の子同士で、過去の体験について訊いたり話したりしてはいけない」というルールが課せられている。お互いのプライバシーを守ること(話を聞いた側が外で話してしまう可能性がある)、たとえば年長の女の子が年下の女の子に偏った(誤った)アドバイスをしてしまうことを防ぐ、といった理由がある。

いま考えているワークショップ案を説明すると、Lourraineも喜んで賛成してくれた。彼女たちは仲間の前で自分の考えを話すことには慣れているか、といった質問をした後、Lourraineがこの仕事をする上で大切にしていることは何か、と訊いてみた。

彼女は照れながら、昔からこういう活動に関心を持っていたこと。マカティでバリバリ働いていた時にACAYを知り、すぐ仕事を辞めて転職したこと。その時、迷いはなかったこと。仕事のうえではただ彼女たちと一緒に幸せになろうと思っていること、を話してくれた。
余談ながら、こういう時のフィリピンの人の、照れたり謙遜したりする仕草は日本人と似ていて親しみが湧く。

ACAYの家をでる頃には午後11時を回っていた。Lourraineはまだ打合せがあり、それを済ませてから自宅に帰るという。夜型というのを抜きにしても、みんなよく働くなー…と感心する。

Lourraineからフィードバックをもらえたことで、ワークショップの方向性はだいぶ見えてきた。JKも、演劇的なアクティビティが必要なら言ってね、と言ってくれた。英語があまり得意でない女の子たちだから、アイスブレイクにはタガログを話せるJKの方がいいだろう。私が帰った後も、KARNABALやSipatとしてACAYとは関わり続けたいと言っていたので、その伏線としても悪くない。

日本でやっているプロジェクトもこのプロジェクトも、私の役割は席をつくることなのかもなと思う。ねじ込んで、席をつくって、いなくなる。空席ができるので、誰かが座る。できたら透明人間みたいでいたい。何もしない、何も役に立たない、空っぽな中心でいたい。この国にいると、そんな考えもロマンチックすぎて時々うんざりするのだけれど。

フィリピン日記 20160510

2016年5月10日(火)

一日中、JKの家の2階で仕事。気配がなさすぎて、家中の電気を消してみんなが出かけてしまい、気づいたら真っ暗な家に一人だった。

夜になってClydeやYukoさんも帰ってきて、翌日には日本に帰るYukoさんのためFarewell Beerをしようという話に。トライシクルでセブン-イレブンまでひとっ走り、サンミゲルの大瓶を4本買い込む。

帰国したばかりのEisaも交えて家飲み。途中から、それぞれの死にまつわる体験の話に。Yukoさんからは、コミュニティ・アートに長く取り組んできたフィリピン人アーティスト、Alma Quinto(アルマ・キント)さんの話を聞く。

この日は写真がないが、ゆっくり話ができて、いい晩だった。ちょっとビールを飲み過ぎた。

フィリピン日記 20160509

2016年5月9日(月)

週明けの月曜は大統領選挙。目覚めると窓の外を通る車や人が少なく、妙に静か。数日前から熱中症のような症状で怠さや目眩がつらい。街中が休む今日一日くらいはおとなしくしていようと思っていたが、階下のカフェのテレビもお年寄りの会話も選挙一色で、さすがにじっとしていられなくなった。

フロントの女性に、この地区の投票所はどこ?と訊くと、Malaya Elementary Schoolだと教えてくれた。トライシクル乗り場にも今日は一台もいない。たまたま拾えたトライシクルは屋根のある座席に氷を積んでいたので、ドライバーの後ろに乗って出発。パッキパキの晴れ、炎天下。

トライシクルのおじさんは、ニケツという距離感のせいかとてもフレンドリーで、お互い自己紹介したり、通りがかりのおじさんの友だちを紹介されたりしながら投票所へ。人、わさわさいた。どおりでまちが静かなはずだ。
ここはMalaya Barangay Hall(マラヤ公会堂) と隣り合っている。後舎の前でウロウロしていたら、係の女性にどうしたの?と声をかけられ、投票の様子を見に来た、外からでいいので少し見学させてほしいと説明すると、中に入れてくれた。しかも、係員の人に案内させるという。

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投票は、あらかじめ通知された番号に従って張り出された表で自分の名前を探し、割り当てられた部屋で投票用紙に記入する仕組み。室内には監視人(watcher)がずらっと。誰に投票するか何時間でも考えていいらしく、試験でも受けるようにみんな紙を前に考え込んでいる。

日本では若者があまり選挙に行かないのが問題になってる、と話すと、こっちでは若者も年寄りも盛り上がる、特に若い子は初めての選挙の時なんか大興奮よ!え、ねえ日本では票読み機は使ってるの?と前のめり。帰りに、選挙で不正や喧嘩はダメ絶対(タガログ語)、みたいなポスターをもらった。

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Pinyahan(ピニャハン) Elementary Schoolに行ってごらん、もっと沢山いるから!と言われ、改めてトライシクルを拾ったら、最初のトライシクルのドライバーの友だちだった。到着してみると、校門の前のサリサリ(街角のキオスクみたいな小売店)は屋台も出しているし、通りも装飾されて、ちょっとしたまちのフェスティバルみたい。投票所になっている教室の廊下には、人が外まで溢れながら長い列を作っている。浮足立った運営スタッフが石段から転げ落ち、顔面から流血。叫ぶ人あり、走る人あり。会場を出ると銃を持った兵士が交通規制していた。

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ピニャハンのあたりは初めて来たエリアだったので、とりあえず歩いてみる。よくいえば下町風情、悪く言えば…だが、落ち着いていて個人的には心地よい。道端のマリア様の風情よ。とはいえその横では、ここを住まいにしているらしいおじいさんと子どもが、炎天下で横たわっているのだけれど。

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にしても暑い。日陰で立ち止まって休んでいると、トライシクルのお兄ちゃんと近所のおじいさんが寄ってきて、どこに行きたいの?と声をかけられる。さっきMalayaのバランガイホールのそばで大きな教会を見かけたのを思い出し、そこに連れて行ってほしい、と話すと親切に道案内付きで連れてきてくれた。おかげでだいぶ、ざっくりした地図が頭のなかに描けてきた。

今日のまちや人々は、祭りのようで、同時に静まっているような、不思議な雰囲気。昨日まで必死で、今日はもう粛々と、人事を尽くして天命を待つ…という感じなのだろうか。すでに祭りのあと感さえ漂っているような。

夜、選挙のための酒類販売禁止が解けた0時から飲もうぜ!ということになり、JK、Clyde、Yukoさんたちと繰り出す。Matalino(マタリノ)通りのシェーキーズ前でYenyenが合流。一緒にいた友だちはリアリティ番組(若者が一軒家で5ヶ月共同生活をしながら、無茶なタスクを次々に与えられこなしていく、電波少年的な番組)で有名になったらしい。Yenyenは昨日、初出演する映画の撮影を終えたばかり。ナース役でヌードありの重要な役どころ。

0時を回ってもなぜかサリサリは(トラブルを恐れてか)酒を売ってくれず、タクシーでCubaoのクラブに行くことに。途中で合流したClydeの親友(PHSAの同級生でJKの元教え子)は出合い系サイトで知り合った男の子とデートを2回戦も終えてきたところ…。他にも若い子たちが次々合流してきて、飲んで踊って笑い転げて、店を出たのは午前3時過ぎ。踊り狂うYukoさんがめちゃくちゃ面白くて、フィリピンの若い子たちをとりこにしていた。私は体調不良のせいかこっちに来てからテンションが低くて、酒も飲まずにほとんど座っていた。

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この狂騒(?というには可愛いものだけれど)の背景には、いよいよ開票が始まった副大統領選のデッドヒートがある。マルコス元大統領の息子を、彼らが支持するレニが追い抜いたのは午前3時〜4時頃だったようだ、私はすでに帰宅していたが、まだ店に残っていたYukoさんやClydeたちは祝杯を上げたらしい。

ちなみに大統領の方は、暴言・放言で物議をかもしながらも有力候補とされていたドゥテルテが当選。彼は南部ミンダナオ島にあるダバオ市長から出馬し、言語の異なる(ビサヤ語)フィリピン大統領は史上初。ドゥテルテもレニも、ただ書類にサインだけしているようなタイプの政治家じゃないから、これから半年間で政策はかなりドラスティックに変わると思う、ちょっと怖い、とJKが話していた。

こっちに来てから(ほんの一週間足らずだけれど)、もちろんポスターや支持者たちの運動は街中で見かけたけれども、想像していたほどの興奮や盛り上がりを肌で感じることは少なかった。どこでやっているの?と訊いたところ、「今はほとんどFacebook」との答え。実際、JKはマルコスの息子のことを批判する投稿をしたところ、親戚縁者や故郷の知り合いたちから大量の非難コメント・メッセージが届いたらしい(彼の故郷は地域ぐるみでマルコス支持)。

そういえば週末にはAninoのメンバーであり、私とのコラボレーションの主要メンバーであるAndrewから「今週、Maginhawaの方へ会いに行くよ!」と連絡をもらった。いつ来るの?と尋ねると「選挙が終わったら :)」と返事がきた。

 

フィリピン日記 20160508

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2016年5月8日(日)

昨日の今日で、さっそくAninoのTetaとミーティングができることに。JKとYukoさんはサンデーマーケットへ出かけるというが、午後2時の打合せまでプランを練り直すため、我慢。
というか、体もなんだか限界なのだった。熱中症が止まらない。午前中は野口整体の運動とストレッチをして、少し早めに待ち合わせ場所になっているMaginhawa通りのTHEO’Sへ向かった。

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事前に完成させて劇場へ持ち込むのではなく、当日集まった参加者たちと一緒にワークショップで一気につくり上げていく、即興性の高い作品。昨年、Sipatの上演したGobyernoにインスパイアされたつくり方だ。フィリピンと日本(本牧)両方で体験してみて、ここフィリピンでならいけるかもしれない、とは思った。

まず大枠として、大きなnarrative(物語)をつくっておき、そのうえで個々の参加者がワークショップでつくる小さなnarrativeを自由に語れるような、入れ子構造を考えた。一週間後に予定されているACAYでのワークショップには、私だけで(Anino抜きで)行かないといけない。そこで影絵のつくり方を習う前に、女の子たちが走馬灯というアイディアについて考えたり話し合ったりする時間に充てる。

“死”を迂回するため、彼女たちとは「死ぬ直前に何を見たいか」ではなく、「未来につくり出したい瞬間」についてディスカッションし、様子を見ながら徐々に「走馬灯」に変換していく、というプロセスを考えた。その過程で私も、「死」についてどうフィリピンの人たちとコミュニケーションするか/しないか、ヒントが見つかるかもしれない。

もうひとつ、私自身にとって大事なことは、影絵を演じる人々そのもの(Aninoがいつも上演後にやっているBehind the screen)を作品の中で見せること。

彼女たちのつくる影絵が「未来」のイメージだとしたら、彼女たち自身の姿は「現在」に見えるかもしれない。ただ、本番の影絵で「現在→未来」という流れを走馬灯として見せると、その次には「死」が来てしまう(観客も演者も連想してしまう)。
“死“を巡るハードルの高さを考えると、あまりにも直接的だし、混乱や拒絶が予想される。というか、やる前に予想する人たちに阻止されそう。最終的にはできるかもしれないけど、少なくとも今はこのチョイスは選べない。どうしたものか。

たまたま隣の席で、夫婦と姉妹の四人家族が食事をしていた。追加オーダーしたデザートにからめたジョークだったのか、十代らしい年長の娘がふいに「ハッピーバースデイ、ママ、ハッピーバースデイ、ママ」と口ずさんだ。
その彼女の歌声が、妙に胸に刺さった。唐突だったからかもしれないし、今日が母の日だったからかもしれない。なんだか、まだ生まれていない彼女が時空を超えて、まだ赤ん坊の母親をお祝いしているみたいに聞こえた。

それで「現在→未来→死」へと向かっていくのではなく「未来→現在→生まれる前(胎内)」に向かっていく時間の流れを、大きなnarrativeとして仮に置いてみた。ちょっとベタすぎるが、話を進めていくために、とりあえずこれで打合せにのぞむ。

ちなみに、「死と生がつながって円環になっている(もしくはエンドレスで続く)」という感覚は、フィリピンでは説明すれば理解してもらえるが、浸透はしていない感じ。ただ「フィリピンでは、死ぬ瞬間にはただただ、強い光が見える。光だけになる、と思われている」と聞いたことがあったので、最後は影絵がなくなって光だけになるのもいいかも、と思った。生まれる直前のイメージとして。

Tetaも時間より早く到着し、続いてオンタイムでJKが合流。まずは、ここまでに考えた新しいプランを説明する。汗をかきかきJKやTetaに説明しながら、「なぜ時間をさかのぼるのか」の理由を探しているうちに、「走馬灯はフラッシュバック(死の瞬間からそれまでを振り返る行為)だから」という、当たり前のことに思い至る。

Tetaからは円形のスクリーンは実現が難しそうとの話があり、回転灯篭に近い形を目指して舞台美術の形状、紙の素材や、再来週の影絵のワークショップのことなどを打合せた。

ようやく話が具体的になってきた。

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続いて午後4時からは、ACAYでの打合せ。ソーシャルワーカーのLourraineに加え、彼女の上司であるMarlouも同席。JKが、焦点は“死”ではなく“死の直前に見る人生=未来”なのだ、と説明。そのおかげで「死について言及してはいけない」という前提はいったん保留されたようなムードに。

女の子たちに聞いてはいけないことはあるか?という質問に返ってきたのは、「なぜここ(施設)に来たか、は聞かないで」というシンプルな答えだった。「では、たとえば、母親について話すことは大丈夫か?」と質問したことで、私たちが人並みの想像力を持ち合わせていることが伝わったようだ。最初は警戒していたMarlouの表情がやわらぎ、最終的には「私たち職員も立ち会って、まずいことが起きたら引き取るから大丈夫」と言ってくれた。

こちらからはのリクエストとして、個人情報を特定する必要はないが、彼女たちがどんな経験をしてきているのか(つまり本人に訊いてはいけないこと)を事前に共有させて欲しい、と頼んだ。Lourraineが別日でオリエンテーションをしてくれることに。

重要な2つの打合せが終わり、Yukoさんと合流してUPまで散歩することに。広大なキャンパス内にはたくさんの人が暮らし(スクォッターと聞いていたが、後日、彼らの一部は大学ができる以前からこの地域に暮らしていた人たちだと知る)、ゴミだらけの川では子どもたちが泳いでいる。キャンパス内だけの電車も走っているが、駅は打ち捨てられた遊園地のようだった(技術的な研究も兼ねているらしい、JK談)。

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日曜日のキャンパスは一般公開され、ジープニーの立ち入りも禁止されて、人気のジョギングコースになっている。写真は、4月に火事で燃えてしまった教員棟。生徒たちの評価だけでなく、過去の研究資料など貴重なものもずいぶん燃えてしまったらしい。

新月直後の細い細い月が出る頃には、疲れ果てて歩けなくなってしまった。フィリピンに来て、こんなに体が参ってしまったのは初めてだ。2週間くらいなら体を壊そうがきつかろうがエイヤで乗りきれたけれど、今回はそうもいかないから、たぶんこれも必要なプロセスなのだ、と自分に言い聞かせる。

Jkがテレビ局で仕事をしている子供向け教育番組の話など聞きながら、タクシーでMalingap 通りまで帰った。PINOというビーガン向けの料理も出すレストランで飲んだ、レモングラス&ジンジャー&キューカンバーのジュースがくたくたの体に染みた。

フィリピン日記 20160507

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2016年57日(土)

午後からJKの家に顔を出すと、JKYukoさんがAaronのエクササイズを受けていたので、合流。KARNABALの広報まわりを担当しているYenyenJKのラップトップを使っている間、JKは仕事ができないので、ショッピングモールに行くという。買い出しついでに、ついていくことにした。タクシーがケソン・メモリアルサークル(公園)の周りを走っている時、同じ色のシャツを着て、選挙運動の最後の追い込みをしている支持者たちのグループが見えた。

まずはモール内のレストランで遅い食事。Yukoさんはシニガン(野菜や肉/魚介が入った酸っぱいスープ)がお気に入り。他にもカレカレ(ピーナツソースを使ったシチューみたいな煮込み)などを食べたが、なかなか美味しい店だった。JKとAaronはカラメル味のビールを飲んでいた(名前は失念)。かつては「これを飲めば強くなれる!」と男性的な飲み物として売り出され、その後は「授乳中のお母さんに最適!」と女性のための飲み物として喧伝され、イメージがころころ変わって今はわけわかんない、らしい。

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これまで行ったことのあるショッピングセンターはどちらも『SM(エスエム)』という中国系フィリピン人の経営だったが、今回行った『Tri Noma(トライノーマ)』はスペイン系フィリピン人が創業。SMは後発で、トライノーマの方が古くからあるらしい。空間がのびのびしていて、緑もモサモサ生えており、SMよりずっと居心地がよかった。JKとAaronも「SMはね〜、中国系だから」みたいな感じ。この「中国系だから」という言い方は、日本でもついしてしまいがちなのだが、フィリピンでもそうなんだな、と思った。

モール内には、教会もあった。ふつうにレストランやカフェと軒を連ねている。「日曜日のミサに来た後、モールで買い物をして帰る」というライフサイクルの提案、というか罠。並びにあったHANAMARUKEN(花丸軒)は、おしゃれなカフェみたいだった。

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最上階にあるシネコンで、JKAaronはアメリカ映画を観るという。YukoさんはExchangerのプロジェクトで海に潜って撮影してきた日本の沈没船の写真の現像をしに行くというから、私はひとりでモール内を探索することにした。そこそこ長い滞在なので、何かが足りなくて困ったときに、どこに、いくらくらいで売っているのか知っておきたかった。
薬は、漢方と常備薬を持ってきている。これまで困ったのは、生理用品。私の場合、日本で使っているのと同じものでは乗りきれなかった。昨年かなり辛かったので、しっかり対策を練っていた。男性には申し訳ないけど、けっこう大事な情報だと思うから、今度ちゃんと書くつもり。
今回は下着(かなり汗をかくため、着替えが足りない)が必要になりそうなので、試着しておく。基礎化粧品や日焼け止めも、たぶん買わないけど一応チェック。

JKたちを置いて先に帰ろうと思っていたが、モール内はかなり広大で、かついちいち「これはこのくらいの値段かー。ほー」と立ち止まるので(物の値段に興味がある)、JKたちの映画が終わる21時になってしまった。まだモールにいるよ、とメールをすると、JKから電話で「Tetaから連絡があったから話そう」という。緊張しながら、待ち合わせ場所のスターバックスへ。が、いっぱいだったので、別のスターバックスへ(ほぼ各フロアにスタバがある!)。

ここでJKから提案されたのは、以下の座組だった。

・Aninoは引き続き、石神のメインコラボレーター
・でもAninoは今回、ACAYとコラボしない
・石神は予定通り、ACAYでワークショップを行う。ただし単独で
・AninoがKarilyoとともに開催する一般向け影絵ワークショップに、ACAYの少女を連れて行く
・ACAYだけでなくKarilyoや地元の人など他のコミュニテイにも開かれたものにする

書き忘れてたけど、前日にJKに以下の提案をしてあった。

・もし今回Anino+Karilyoと組むならば、SOMATOをシステムやプラットフォームのような形にして、観客参加型でつくる作品にしたい
・ACAYのようなコミュニティではなく、たとえば私が出会った個人(洗濯屋の女性など)のためだけに、ごくパーソナルな作品としてつくる、という方向性もある

JKがTetaと交渉して導き出した提案は、これを踏まえて、しかもどの関係者も切り捨てない「全部盛り」プランだった。すごい、JK。
ACAYの少女たちに対して単独でワークショップをする、かつ(自分で言い出したとはいえ)観客参加型でつくる、というのは結構チャレンジングだと思ったが、それでも、どう考えてもこれが「答え」だった。
Aaronもここまでの過程にずっと立ち会ってくれていたので、3人してちょっと長いマラソンを走り切ったような、疲れ果てた、熱っぽい変なテンションで「うん、これでいこう。オーケー。やろう」と励まし合った。

JKのiPhoneが電池切れでGrab(グラブ。Uberと同じような車を拾うアプリ)が使えないのでモール前のタクシー乗り場へ。だがそこにも長い列ができていて、しかも車が全然来ない。しびれを切らして別の通りまで出てみると、拍子抜けするほど簡単に車が拾えた。ホテルに帰り着く頃には1時近くになっていた。

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フィリピン日記 20160506

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5月6日(金)

ここまで(主に自分の考えを整理するため)長く書きすぎていたので、今後はなるべく簡潔に書く。
とはいえこの週末は、「二転三転する状況に合わせて選択肢を組み直し、相手からの返答を待ちつつ、それぞれの選択肢に紐づく作品プランを練る」という、地味だが疲弊する時間で暮れていった。

AninoでTita Tenyにかわって調整役を買って出てくれたTetaの返答を待つ。彼女も大学でのデザインの授業などを抱えて毎日深夜まで多忙なため、なかなか連絡がとれない。

昨日の3つの選択肢に対して、こちらの希望として、ACAYにかわる新たなコミュニティを探すのではなく、(1)石神+Aninoのシンプルな体制にして、Anino自身を対象コミュニティとして影絵をつくるのはどうか?と提案した。もしそれがAninoにとって難しければ、(2)石神+別のアーティスト+ACAY、という体制で仕切り直す。

するとAninoから新たに、(1)の選択肢にKarilyoという学生の影絵劇団も加えるのはどうか?という提案があった。Aninoは彼らのアドバイザーのような形で影絵の指導をしている。忙しいAninoメンバーのマンパワーを補填するという意味では悪くないが、誰が主導権を持つのかが気になる。つまり、誰とどうやってつくるのか、ということ。私のイメージを形にしてもらいたいわけじゃない。
私はアーティスト同士としてコラボレーションをしたい、影絵のスキルを持つ人ではなく、プロジェクトを通じて探求したい「問い」を持つ人と組みたい。ということを伝えて、再び返事を待つ。

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JKの家で変更プランを考えていたが、頭が煮えたぎってきたので、夕方頃から散歩に出た。ACAYの家の前を通って、彼女たちもよく行くClaret Churchへ。このあたりはなんだか景色が開けていて気分がいいのだ。
中に入ってしばらく考え事をしていると、ミサが始まった。しばらく聞いてから外へ出て、マリア像の前にろうそくを灯す。私はお寺も神社も教会も行くけど、たぶん儀式が好きなのだと思う。頭が休まるから。

おみやげにBBQ味とわさび味のフライドポテトを買って帰ると、夕飯ができていた。Aaronの手料理だというチキンのガーリック&ハーブオイル煮が、とても美味しかった。

週明けの月曜に迫った大統領選に向けて、KARNABALのメンバーたちも故郷に帰る人がちらほら。週末は揉め事や暴動を防ぐために酒類販売禁止になると聞き、その前に飲もうぜ!と深夜からMalingap通りのFlying Houseというバーへ。ここの食事はかなり美味しく、サンミゲルもキンキンに冷えている。

途中からClydeがPHSA時代からの女友達を連れてやってきたり、Alonの兄で、PHSAを卒業後にPETA(フィリピン教育演劇協会)の俳優になった Ianが合流したりと、最終的にはとてもにぎやかに。Ianは、沖縄の国際児童演劇祭(以前はたぶん『キジムナーフェスタで、今は名前が変わって『りっかりっか*フェスタ』になったよう。間違っていたらごめんなさい)に参加したらしい。ペピンの元メンバーで、今はベルリンで活動している井上知子が通訳として関わっていたから、よく話を聞いていた。今年の夏に上演があるらしいので、行きたい。沖縄。

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フィリピン日記 20160505

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2016年5月5日(木)

昨晩、JKに「一晩考えさせて」と伝えてあったので、朝イチでまずは自分の考えと結論をまとめてメールした。また別の機会にAninoとコラボレーションできれば嬉しいが、それは今ではない、ということ。その場合、考えられる新しいコラボレーションの形やコンセプトについて。

その後は昨日に引き続き、「失恋」の痛手から立ち直るため午後2時くらいまでガリガリ仕事。一番暑い時間帯なので迷ったが、遅いランチをとりにMalingap通りへ。いまどきのお店が4、5軒並んでいるショッピングビルで、一番人が入ってそうなチキンの専門店に入ってみた。フィリピンの飲食店では同じ味付けでチキン、豚肉、牛肉、シーフード(魚やエビ)が選べることが多い。が、チキンは本当によく食べる。街中でも飼ってるし、安いのだろう。

今日は夜からKARNABALの運営ボランティアたちが集まるオリエンテーションとミーティングがあると聞いていたので、そのままJKの家へ向かう。すると、まさかの新展開が。私とのコラボレーションがなくなったという決定が共有されたところ、Aninoの他のメンバーからストップがかかったらしい。よくよく聞けば、ACAYとのコラボレーションは難しいが、私とのコラボレーションやKARNABALへの参加をしたくないわけじゃない…ということ。とはいえスケジュールの問題は依然として残っているし、劇団の中でもなかなか議論が決着しないらしい。な、なんか、一度はフラれた相手から留守電入ってた、みたいな気分。フクザツ、でも嬉しい。

ここで座組として、3つの選択肢が出てきた。

(1)石神+Aninoのうち1.5人+ACAY
(2)石神+Anino+ACAYに代わる別のコミュニティ
(3)石神+別のアーティスト+ACAY

まず、(1)は現実的に難しい、と判断した。マンパワーが足りなさすぎる。(2)なら、他のコミュニティを探す時間がもうないので、Anino自身をテーマにするのがいいだろうとJKと話し合った。だがこの時点では(3)が一番確実そうだったので、まずはJKたちにアートセラピストなど、別の候補者を当たってもらうことに。

こういう、もちゃもちゃしたアレコレは、クリエーションと切り離してとっとと先に進める方がいい、という考え方もあるだろう。でもこのプロジェクトでは「誰と、どうやってつくるか」が外せないし、まだ決断には機が熟していない、来るべき答えがやってきていない気がした(後日、JKも同じことを言っていた)。ワーク・イン・プログレスのコラボレーションで、義務感や帳尻合わせでつくることほど、時間の無駄はない。もしAninoの集団創作にとって大切なプロセスなら、できるだけ(最大であと1週間?)付き合いたいと思った。というわけで、「今晩中に連絡する」という答えを信じて、結論は先延ばしに。

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19時頃から始まっていたKARNABLのオリエンテーションに合流して、Sipatの活動紹介を聞く。改めて見てもかなり前衛的。昨年もKARNABALで一緒だった映像作家・Brandonに再会。彼はニューヨークから引っ越してきたフィリピン人。通訳を引き受けてくれたKeiくんも来ていた。以下、休憩時間にKeiくんにフィリピンのカトリックの死生観について聞いた短いインタビュー。

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スペイン統治時代に浸透したカトリックは、フィリピンの先住民たちを「信じなければ(いうことを聞かなければ地獄に落ちる)」というやり口で支配するために使われた。死んだらもう生まれ変わることはないので、死ぬ瞬間に天国か地獄かが決まったら最後、それは永遠に続く。煉獄の概念もあって、死者が天国に行けるよう祈る習わしもある。Keiくんのおばさんはもう20年以上も親が天国に行けるよう祈り続けているらしい。

カルマ、つまり因果応報の考え方が強いので、「死ぬ前にいいことをして悪いことを帳消しにするため長生きしたい」という考え方も根強い。テレビドラマなんかで、死ぬ直前に「もっと長生きしたかった(このままでは地獄に行ってしまうので、生きているうちにいいことをしたかった)」と泣く、みたいなシーンも結構あるらしい。

ただ、Keiくん自身はプロテスタントなので、そういう考え方ではない。プロテスタントではどうなの?と訊くと「神を信じます、と言えば天国に行ける」という。「南無阿弥陀仏」みたいだ。人々の暮らしを簡便にする、それが発明なのだ。

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もろに宗教観に突っ込んでいきたいわけではないのだけど、たぶんこのあたりをもう少しリサーチしてから、戻ってこないといけないのだろう。実はACAYも、修道女が運営するカトリックの組織なのだ。でも結局は個人的な話で、「フィリピン社会では云々」なんて私には語れない。だから「誰とやるか」が決まらないと、なかなか先に進めない。

夕食にバターチキンを食べたあと、Keiくんから、私が大学で何を専攻して、今はどんな仕事をしているか訊かれ、説明する。日本でもなかなか伝わりにくいが、KARNABAL界隈だと皆やっていることが近いせいか、すんなり伝わる。Keiくんに、将来はどんな仕事をしたいの?と尋ね返すと、「こういう(KARNABALとか、私とかがやってるような)仕事」という答えだった。

自分がKARNABALにつながったのは偶然だったし、場違いとは言わないまでも「私でいいんですかね」感があったけど(少なくともフィリピンという国に来ることはそれまで一度も考えたことはなかった)、それを聞いて初めて「あ、よかったんだ」と思った。
(改めて、紹介してくれたちからさん、ありがとう)

ホテルに帰ってからも、バターチキンの後にJKが淹れてくれた濃いコーヒーが効いて眠れず、昔読んだミステリー小説を3時まで読んでようやく眠った。

フィリピン日記 20160504

 

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2016年5月4日(水)

午前中はカフェで仕事をし、正午にはJKの家へ。昨年よく通ったMaginhawa通りの洗濯屋さんに立ち寄る。昨日安いコインランドリーを見つけたけど、ここの女主人にまた会いたかったから。彼女も私のことを覚えていてくれた。あちこちの道路で工事をしまくっているのは、選挙(大統領が代わる)前に予算を使いきってしまいたいから。本当に、どこもかしこも掘り返されている。

JKたちは打合せ中で、みんなはKFCの出前を注文してしまったというので、ひとり外出してランチをとりながら午後の打合せ準備をする。“死”に直接的に言及せずに走馬灯をイメージしてもらうために、テーマを絞り込むとかアプローチをいろいろ考えるが、結論は出なかった。

14時からAninoのTita Tenyとのミーティング、JKとAaronと一緒に、何という場所かわからないがタクシーで20分くらい離れたところのスターバックスへ向かった。4ヶ月ぶりに会ったTita Tenyは白髪交じりのかっこいいショートヘアになっていた。彼女はAninoのお母さん的存在でマネージャーも兼務しており、実際に30代のメンバー二人の母親でもある。かつてはビジュアルアートのアーティストマネジメントをしていたらしい。ちなみに“Tita Teny”は“Teny おばさん”といった意味。

彼女は高齢者が優遇されるカードを使って、私たちにコーヒーをおごってくれた。フィリピンでは「シニア・シチズンシップ」という高齢者優遇制度があって、60歳以上だとレストランや映画、薬局などで割引が受けられる。バランガイ(地方自治体)や居住年数にもよるが、最近は外国人でも対象になるらしい。

で、ここからが大変だった。話が込み入っている、かつプライバシーに関わる話も含まれるので詳しく書けないが、結果的にこの日の打合せで、AninoとACAYとのコラボレーションの実現可能性が10%くらいになってしまった。

なぜそんなことになってしまったのか?コミュニケーションの行き違いもあったが、それよりも、フィリピンの人たちにとって“死”がどれほどナーバスな話題であるか、そして彼らがいかに複雑な難しさを抱えながら生きているかを、思い知らされた。Tita Tenyのまわりの人たちは“死”について話そうとすると、その話題から逃げようとしたり、怖くて泣き出してしまったりする、らしい(Tita Teny自身は、「私はもうじき死ぬから」とひょうひょうとしていたけれど)。

たとえ昨年から何度か来ているとはいえ、本番含め1ヶ月半という時間は、コラボレーションのために十分な時間ではない。これだけナーバスになる話題であれば、なおさら(とはいえ昨年からすでに議論していたので、早く言って欲しかったけど…)。そしてAninoのメンバーたちは超優秀な人たちで、大学でデザインを教えるかたわら30代の若さで重要なポストについていたり、デザインの会社を起業していたり、テレビ局のプロデューサーをしていたりする。そりゃ多忙だわ。

とはいえ私もこの一ヶ月半まるまる、日本の仕事をストップして来ている。何よりクライアントや仕事仲間やペピンの人たちなど、快く送り出してくれた寛大な人たちのおかげでここにいる。Aninoと作品をつくれる、というモチベーションで確保した時間だったので、正直がっくり来たが、JKがとにかく前向きなのと、Aaronの笑顔に救われた。

頭も心もへとへとになってMagitingに戻ると、JKの元教え子(PHSAではなくミュージカルのサマースクール)で通訳候補のKei Tairaくんが待っていた。

Keiくんはお父さんが日本語しか話せない日本人で、幼児期と小6〜中1の頃に数年間日本に住んでいたことがあり、漢字も読める。何よりフィリピン大学で芸術学を専攻している、というのが心強い。
KeiくんはさすがJKの教え子だけ合って(?)驚くべきスムーズさで話を飲み込んでくれ、自己紹介もそこそこにJKとの作戦会議に突入。それにしてもあまりに話が早い、と思ったら、母親の意思で大学の一年目は司祭になるためのコースを専攻していたという。2年目から芸術学にコース変更したが、修了書は持っている。

Keiくんの補足があってようやく、みんなが言っている“死”の恐ろしさがおぼろげながら輪郭を持ち始めた。どうやら死”といった時に連想するイメージが“死後どうなるか(≒地獄)”に直結してしまうらしい。

1月にリサーチで来た時に何箇所か教会を見て回ったが、やっぱり墓地にも行ってみた方がよさそうだ。などと一日あけた今なら書けるが、とにかく昨晩は失恋した直後みたいな気持ちで夕食のカルボナーラも味がしないし、夜のマニラをさまよい、秘密の場所でほんの少し自分を慰めてからホテルに帰って、気分転換に夜中までガリガリ仕事をしてから寝た。たぶん、私はAninoに恋をしていたのだ。

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フィリピン日記 20160503

 

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2016年5月3日(火)

朝はなかなか起きられなかった。どういうわけだか体中が痛い。外はピカピカに晴れていて、むちゃくちゃ暑そう。シャワーを浴びた顔がむくんでいる。
長期滞在用のサービスで、今回はなんと朝食チケット付き。階下のカフェに降りてベジタブルオムレツとコーヒーをとる。

10時からJKの家でミーティング。ホテルのそばでトライシクルを拾う。Magiting (マギティン)通りまで約5分、20ペソ前後。最初に来た時はやたらとボラレて悔しい思いをしたが、やはりこちらの態度を見ているのだろう、今はほとんどそういうことはない。とはいえ、おそらく適正価格(現地の人が一人で乗る場合の最安値)は17ペソ。上乗せしたくなる気持ちも分かるし、ちょっともじもじして「…20ペソ」とか言うので、まあいっか、と思っている。しかし最初の頃は、夜中だと30ペソとか40ペソとか言われて、くやしくて乗車拒否(私が)とかしていたのだ。
この「価格」の話はちょっと書きたいことがあるので、また後日。

JKの家の一階にあるLDKは、午前中は日陰になって涼しい。JK、JKの生徒であるコンテンポラリーダンサーのAaron、俳優のJelo(二人とも10代)、SipatのメンバーであるClydeが朝食のシナボンを食べていた。ナツキも食べな〜とすすめられて、つい口にしてしまう。こちらの料理やお菓子は甘いから糖分のとりすぎに注意しようと思っていたのに、さっそく挫折しつつある。

2階の一室、通称ミーティングルームでJKと打合せ。ここはすでにKARNABAL2016の司令室のようになっていて、壁にはスケジュールやタスクがパリッと貼り出されている。まだそこまで荒れてないのが「1ヶ月前」という感じ。扇風機が回っていても、じわじわと汗が噴き出してくる。

昨年のKARNABAL2015のInternational Exchangeという国際交流プログラムで、私はAnino Shadowplay Collectiveという影絵のアーティスト集団とコラボレーションすることになった。3年かけて実現したいプロジェクトを提案する、というのが昨年のお題で、私たちは走馬灯をモチーフにした円形のスクリーンと、その内外をシームレスに移動しながら上演・鑑賞できる観客参加型の影絵を、マニラのあるコミュニティ(当初の案はフィリピン大学キャンパスに家を建てて住んでいるsquatterたち)と一緒に「彼ら自身が死ぬ前に見る走馬灯として」創作するプロジェクトを提案した。

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(昨年のプレゼンテーションの様子。photos by Jordan Prosser)

これに対してJK(つまりフェスティバル側)から提案されたコミュニティが、ACAYというNGOだった。KARNABALの開催エリアに、虐待からレスキューされた10代〜20代前半の女の子たちが社会復帰を目指して暮らすACAYの家がある。

2016年1月にリサーチのためマニラを訪れた際、AninoのメンバーであるTita TenyとAndrew、JKと一緒にACAYを訪問した。職員でありソーシャルワーカーのLourraineはプロジェクトに前向きで、実際にそこで暮らす20人近い女の子たちとも話をした。ただその時にLourraineから私たちに対して、「“死”という言葉を避けてほしい」という要望があった。

走馬灯というモチーフは、死生観と関係が深い。そもそもこのコンセプトが出てきた前提には、私とAndrewが最初に会った時に交わした前世に関する会話がある(詳しくはたぶん別の日に)。だからけっこう衝撃的な依頼だったのだけれど、とりあえずはやってみようということで、帰国後に“死”を“再生(rebirth)”に置き換えた別のコンセプトに翻案して、再提出していた。 ただお互いの顔が見えない状況で、英語でのやり取りは思った以上にハードルが高かった。Aninoからのフィードバックは、私の企画書のほとんどの部分を削除したバージョンだった。

おそらく私のイメージしている走馬灯(日本的な文脈と、個人的な文脈が入り混じった)のニュアンスがうまく伝わらず、Aninoは少女たちが(死に直結する形で)現実逃避することを促してしまうのではないか、と懸念していた。またAninoは少女たちとの共同作業に対してかなり慎重になっていて、それはもっともなことだとも思った。

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私はフィリピンの社会的背景も、彼女たち一人ひとりの体験についても知らない。言葉で教えてもらったとしても、それをいわゆる“ステレオタイプな”形で想像することさえ難しい。 そしてたぶん、私の考えている“ステレオタイプな”走馬灯のイメージだって、まったく新しい概念みたいに説明し直さないと伝わらないのだ、というあたりまえのことを実感した。
なぜかといえば今日JKと、お互いの使う言葉を、社会的・文化的文脈にさかのぼって、ひとつひとつ解きほぐすように話をして、もともとのコンセプトがようやく伝わったから。

JKの意見から、フィリピン社会の死生観にはカトリックの影響が根深いこと、彼女たちは“死”と向き合うことでかなりの恐怖を感じるかもしれない、ということがだんだん分かってきた。ハイリスクではあるし、最終的な判断はACAYに委ねるしかない。が、コミュニケーションの取り方に細心の注意を払うことで可能だと思う、チャレンジする価値がある、という意見は私もJKも同じだった。

意味論を専攻していたSipatのメンバー、Meilaに参加してもらってはどうか、という提案がJKからあり、手詰まり感があったワークショップにも少し光明が差してきた。Meilaは出産したばかり。ACAYの女の子たちとの共同作業で、いい空気をつくり出してくれそうな予感がある。

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ミーティングが終わると、JKが階下でエクササイズをやってるから参加するかという。ヨガかと思って気軽に参加してみたら、結構ガチなダンス・トレーニングだった。隣でやっていたJKは「ぼくはもうコンセプチュアル・アーティストでいい!」と悲鳴を上げていて、私も同感。あっという間に汗だくになって30分ほどで脱落。Ireneが用意してくれた昼食を食べ、シャワーを浴びにホテルまで戻る。

新しいJKの家とホテルの位置関係を確かめたくて歩くことにしたが、外は真昼の午後2時半。今年は異常気象のためものすごい暑さで、少し前には最高気温45度を記録したらしい。さすがにフィリピンの女性たちも日傘を差している。Malingap(マリンガップ) 通りには、やたらおしゃれなカフェやレストランが増えたような気がする。以前は気づかなかっただけだろうか。

シャワーを浴びた後は、疲れ果てて17時頃までうたた寝してしまった。起きたらようやく日暮れ時、まだじわじわと汗が出る暑さ。階下のカフェで、JKたちのミーティングが終わる20時まで日本の仕事をする。

すっかり暗くなってからJKたちと合流し、懐かしのMaginhawa(マギンハワ)通り近くにあるBig Bというハンバーガーショップで夕食をとった。「BLUE ナントカ」というドリンクがあって、飲む人のemotionに合わせて作ってくれるというのでカクテルかと思って頼んでみたら、店員が卓までやってきて「どんなemotionがいいか」と訊く。センチメンタル、と頼んだら、おもむろに席に腰かけてアンニュイな表情で誰かを待つような仕草をし始め、やがて泣き出して、そのままブルーハワイ色の液体(ノンアルコールの砂糖水)をボトルについでくれた。まさかの演劇付きメニュー。半分も飲めなかった。

Maginhawaは昨年より洗練された雰囲気になっていて、活気があった。大きくてまるでカフェみたいなコインランドリーには家族連れや若い人がたくさんいて、全部の洗濯機が回っていた。7.5ペソ/キロ。レストラン、カフェ、バーには必ず通りにはみ出したテラス席があって、10m歩くごとにJKの友だちに出くわした。つまりは20代のアーティストやクリエイターたちがたむろしているということ。

そのうちの一人の男性について、あとでJKが「彼はぼくの生徒だった」と教えてくれた。すごく才能のある俳優だったけど、14歳の頃から悪い友だちができてお酒を呑んだりし始めて、ジョリビーでアルバイトを始めて、演劇もやめてしまった。今21歳で、何かしているわけじゃないけど、元気そうでよかった、と。彼のストーリーにも心動かされたけれども、「ジョリビーで働き始めた」ことがドロップアウトを象徴することが印象的だった。

帰り道にはJKの好きな人(片想い)の家があって、みんなでピンポンダッシュしようとしたり、彼の車のナンバーにJKの名前が隠れていると大騒ぎして写真を撮ったり、キャピキャピしながら帰った。

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