フィリピン日記 20160505

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2016年5月5日(木)

昨晩、JKに「一晩考えさせて」と伝えてあったので、朝イチでまずは自分の考えと結論をまとめてメールした。また別の機会にAninoとコラボレーションできれば嬉しいが、それは今ではない、ということ。その場合、考えられる新しいコラボレーションの形やコンセプトについて。

その後は昨日に引き続き、「失恋」の痛手から立ち直るため午後2時くらいまでガリガリ仕事。一番暑い時間帯なので迷ったが、遅いランチをとりにMalingap通りへ。いまどきのお店が4、5軒並んでいるショッピングビルで、一番人が入ってそうなチキンの専門店に入ってみた。フィリピンの飲食店では同じ味付けでチキン、豚肉、牛肉、シーフード(魚やエビ)が選べることが多い。が、チキンは本当によく食べる。街中でも飼ってるし、安いのだろう。

今日は夜からKARNABALの運営ボランティアたちが集まるオリエンテーションとミーティングがあると聞いていたので、そのままJKの家へ向かう。すると、まさかの新展開が。私とのコラボレーションがなくなったという決定が共有されたところ、Aninoの他のメンバーからストップがかかったらしい。よくよく聞けば、ACAYとのコラボレーションは難しいが、私とのコラボレーションやKARNABALへの参加をしたくないわけじゃない…ということ。とはいえスケジュールの問題は依然として残っているし、劇団の中でもなかなか議論が決着しないらしい。な、なんか、一度はフラれた相手から留守電入ってた、みたいな気分。フクザツ、でも嬉しい。

ここで座組として、3つの選択肢が出てきた。

(1)石神+Aninoのうち1.5人+ACAY
(2)石神+Anino+ACAYに代わる別のコミュニティ
(3)石神+別のアーティスト+ACAY

まず、(1)は現実的に難しい、と判断した。マンパワーが足りなさすぎる。(2)なら、他のコミュニティを探す時間がもうないので、Anino自身をテーマにするのがいいだろうとJKと話し合った。だがこの時点では(3)が一番確実そうだったので、まずはJKたちにアートセラピストなど、別の候補者を当たってもらうことに。

こういう、もちゃもちゃしたアレコレは、クリエーションと切り離してとっとと先に進める方がいい、という考え方もあるだろう。でもこのプロジェクトでは「誰と、どうやってつくるか」が外せないし、まだ決断には機が熟していない、来るべき答えがやってきていない気がした(後日、JKも同じことを言っていた)。ワーク・イン・プログレスのコラボレーションで、義務感や帳尻合わせでつくることほど、時間の無駄はない。もしAninoの集団創作にとって大切なプロセスなら、できるだけ(最大であと1週間?)付き合いたいと思った。というわけで、「今晩中に連絡する」という答えを信じて、結論は先延ばしに。

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19時頃から始まっていたKARNABLのオリエンテーションに合流して、Sipatの活動紹介を聞く。改めて見てもかなり前衛的。昨年もKARNABALで一緒だった映像作家・Brandonに再会。彼はニューヨークから引っ越してきたフィリピン人。通訳を引き受けてくれたKeiくんも来ていた。以下、休憩時間にKeiくんにフィリピンのカトリックの死生観について聞いた短いインタビュー。

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スペイン統治時代に浸透したカトリックは、フィリピンの先住民たちを「信じなければ(いうことを聞かなければ地獄に落ちる)」というやり口で支配するために使われた。死んだらもう生まれ変わることはないので、死ぬ瞬間に天国か地獄かが決まったら最後、それは永遠に続く。煉獄の概念もあって、死者が天国に行けるよう祈る習わしもある。Keiくんのおばさんはもう20年以上も親が天国に行けるよう祈り続けているらしい。

カルマ、つまり因果応報の考え方が強いので、「死ぬ前にいいことをして悪いことを帳消しにするため長生きしたい」という考え方も根強い。テレビドラマなんかで、死ぬ直前に「もっと長生きしたかった(このままでは地獄に行ってしまうので、生きているうちにいいことをしたかった)」と泣く、みたいなシーンも結構あるらしい。

ただ、Keiくん自身はプロテスタントなので、そういう考え方ではない。プロテスタントではどうなの?と訊くと「神を信じます、と言えば天国に行ける」という。「南無阿弥陀仏」みたいだ。人々の暮らしを簡便にする、それが発明なのだ。

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もろに宗教観に突っ込んでいきたいわけではないのだけど、たぶんこのあたりをもう少しリサーチしてから、戻ってこないといけないのだろう。実はACAYも、修道女が運営するカトリックの組織なのだ。でも結局は個人的な話で、「フィリピン社会では云々」なんて私には語れない。だから「誰とやるか」が決まらないと、なかなか先に進めない。

夕食にバターチキンを食べたあと、Keiくんから、私が大学で何を専攻して、今はどんな仕事をしているか訊かれ、説明する。日本でもなかなか伝わりにくいが、KARNABAL界隈だと皆やっていることが近いせいか、すんなり伝わる。Keiくんに、将来はどんな仕事をしたいの?と尋ね返すと、「こういう(KARNABALとか、私とかがやってるような)仕事」という答えだった。

自分がKARNABALにつながったのは偶然だったし、場違いとは言わないまでも「私でいいんですかね」感があったけど(少なくともフィリピンという国に来ることはそれまで一度も考えたことはなかった)、それを聞いて初めて「あ、よかったんだ」と思った。
(改めて、紹介してくれたちからさん、ありがとう)

ホテルに帰ってからも、バターチキンの後にJKが淹れてくれた濃いコーヒーが効いて眠れず、昔読んだミステリー小説を3時まで読んでようやく眠った。

フィリピン日記 20160504

 

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2016年5月4日(水)

午前中はカフェで仕事をし、正午にはJKの家へ。昨年よく通ったMaginhawa通りの洗濯屋さんに立ち寄る。昨日安いコインランドリーを見つけたけど、ここの女主人にまた会いたかったから。彼女も私のことを覚えていてくれた。あちこちの道路で工事をしまくっているのは、選挙(大統領が代わる)前に予算を使いきってしまいたいから。本当に、どこもかしこも掘り返されている。

JKたちは打合せ中で、みんなはKFCの出前を注文してしまったというので、ひとり外出してランチをとりながら午後の打合せ準備をする。“死”に直接的に言及せずに走馬灯をイメージしてもらうために、テーマを絞り込むとかアプローチをいろいろ考えるが、結論は出なかった。

14時からAninoのTita Tenyとのミーティング、JKとAaronと一緒に、何という場所かわからないがタクシーで20分くらい離れたところのスターバックスへ向かった。4ヶ月ぶりに会ったTita Tenyは白髪交じりのかっこいいショートヘアになっていた。彼女はAninoのお母さん的存在でマネージャーも兼務しており、実際に30代のメンバー二人の母親でもある。かつてはビジュアルアートのアーティストマネジメントをしていたらしい。ちなみに“Tita Teny”は“Teny おばさん”といった意味。

彼女は高齢者が優遇されるカードを使って、私たちにコーヒーをおごってくれた。フィリピンでは「シニア・シチズンシップ」という高齢者優遇制度があって、60歳以上だとレストランや映画、薬局などで割引が受けられる。バランガイ(地方自治体)や居住年数にもよるが、最近は外国人でも対象になるらしい。

で、ここからが大変だった。話が込み入っている、かつプライバシーに関わる話も含まれるので詳しく書けないが、結果的にこの日の打合せで、AninoとACAYとのコラボレーションの実現可能性が10%くらいになってしまった。

なぜそんなことになってしまったのか?コミュニケーションの行き違いもあったが、それよりも、フィリピンの人たちにとって“死”がどれほどナーバスな話題であるか、そして彼らがいかに複雑な難しさを抱えながら生きているかを、思い知らされた。Tita Tenyのまわりの人たちは“死”について話そうとすると、その話題から逃げようとしたり、怖くて泣き出してしまったりする、らしい(Tita Teny自身は、「私はもうじき死ぬから」とひょうひょうとしていたけれど)。

たとえ昨年から何度か来ているとはいえ、本番含め1ヶ月半という時間は、コラボレーションのために十分な時間ではない。これだけナーバスになる話題であれば、なおさら(とはいえ昨年からすでに議論していたので、早く言って欲しかったけど…)。そしてAninoのメンバーたちは超優秀な人たちで、大学でデザインを教えるかたわら30代の若さで重要なポストについていたり、デザインの会社を起業していたり、テレビ局のプロデューサーをしていたりする。そりゃ多忙だわ。

とはいえ私もこの一ヶ月半まるまる、日本の仕事をストップして来ている。何よりクライアントや仕事仲間やペピンの人たちなど、快く送り出してくれた寛大な人たちのおかげでここにいる。Aninoと作品をつくれる、というモチベーションで確保した時間だったので、正直がっくり来たが、JKがとにかく前向きなのと、Aaronの笑顔に救われた。

頭も心もへとへとになってMagitingに戻ると、JKの元教え子(PHSAではなくミュージカルのサマースクール)で通訳候補のKei Tairaくんが待っていた。

Keiくんはお父さんが日本語しか話せない日本人で、幼児期と小6〜中1の頃に数年間日本に住んでいたことがあり、漢字も読める。何よりフィリピン大学で芸術学を専攻している、というのが心強い。
KeiくんはさすがJKの教え子だけ合って(?)驚くべきスムーズさで話を飲み込んでくれ、自己紹介もそこそこにJKとの作戦会議に突入。それにしてもあまりに話が早い、と思ったら、母親の意思で大学の一年目は司祭になるためのコースを専攻していたという。2年目から芸術学にコース変更したが、修了書は持っている。

Keiくんの補足があってようやく、みんなが言っている“死”の恐ろしさがおぼろげながら輪郭を持ち始めた。どうやら死”といった時に連想するイメージが“死後どうなるか(≒地獄)”に直結してしまうらしい。

1月にリサーチで来た時に何箇所か教会を見て回ったが、やっぱり墓地にも行ってみた方がよさそうだ。などと一日あけた今なら書けるが、とにかく昨晩は失恋した直後みたいな気持ちで夕食のカルボナーラも味がしないし、夜のマニラをさまよい、秘密の場所でほんの少し自分を慰めてからホテルに帰って、気分転換に夜中までガリガリ仕事をしてから寝た。たぶん、私はAninoに恋をしていたのだ。

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フィリピン日記 20160503

 

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2016年5月3日(火)

朝はなかなか起きられなかった。どういうわけだか体中が痛い。外はピカピカに晴れていて、むちゃくちゃ暑そう。シャワーを浴びた顔がむくんでいる。
長期滞在用のサービスで、今回はなんと朝食チケット付き。階下のカフェに降りてベジタブルオムレツとコーヒーをとる。

10時からJKの家でミーティング。ホテルのそばでトライシクルを拾う。Magiting (マギティン)通りまで約5分、20ペソ前後。最初に来た時はやたらとボラレて悔しい思いをしたが、やはりこちらの態度を見ているのだろう、今はほとんどそういうことはない。とはいえ、おそらく適正価格(現地の人が一人で乗る場合の最安値)は17ペソ。上乗せしたくなる気持ちも分かるし、ちょっともじもじして「…20ペソ」とか言うので、まあいっか、と思っている。しかし最初の頃は、夜中だと30ペソとか40ペソとか言われて、くやしくて乗車拒否(私が)とかしていたのだ。
この「価格」の話はちょっと書きたいことがあるので、また後日。

JKの家の一階にあるLDKは、午前中は日陰になって涼しい。JK、JKの生徒であるコンテンポラリーダンサーのAaron、俳優のJelo(二人とも10代)、SipatのメンバーであるClydeが朝食のシナボンを食べていた。ナツキも食べな〜とすすめられて、つい口にしてしまう。こちらの料理やお菓子は甘いから糖分のとりすぎに注意しようと思っていたのに、さっそく挫折しつつある。

2階の一室、通称ミーティングルームでJKと打合せ。ここはすでにKARNABAL2016の司令室のようになっていて、壁にはスケジュールやタスクがパリッと貼り出されている。まだそこまで荒れてないのが「1ヶ月前」という感じ。扇風機が回っていても、じわじわと汗が噴き出してくる。

昨年のKARNABAL2015のInternational Exchangeという国際交流プログラムで、私はAnino Shadowplay Collectiveという影絵のアーティスト集団とコラボレーションすることになった。3年かけて実現したいプロジェクトを提案する、というのが昨年のお題で、私たちは走馬灯をモチーフにした円形のスクリーンと、その内外をシームレスに移動しながら上演・鑑賞できる観客参加型の影絵を、マニラのあるコミュニティ(当初の案はフィリピン大学キャンパスに家を建てて住んでいるsquatterたち)と一緒に「彼ら自身が死ぬ前に見る走馬灯として」創作するプロジェクトを提案した。

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(昨年のプレゼンテーションの様子。photos by Jordan Prosser)

これに対してJK(つまりフェスティバル側)から提案されたコミュニティが、ACAYというNGOだった。KARNABALの開催エリアに、虐待からレスキューされた10代〜20代前半の女の子たちが社会復帰を目指して暮らすACAYの家がある。

2016年1月にリサーチのためマニラを訪れた際、AninoのメンバーであるTita TenyとAndrew、JKと一緒にACAYを訪問した。職員でありソーシャルワーカーのLourraineはプロジェクトに前向きで、実際にそこで暮らす20人近い女の子たちとも話をした。ただその時にLourraineから私たちに対して、「“死”という言葉を避けてほしい」という要望があった。

走馬灯というモチーフは、死生観と関係が深い。そもそもこのコンセプトが出てきた前提には、私とAndrewが最初に会った時に交わした前世に関する会話がある(詳しくはたぶん別の日に)。だからけっこう衝撃的な依頼だったのだけれど、とりあえずはやってみようということで、帰国後に“死”を“再生(rebirth)”に置き換えた別のコンセプトに翻案して、再提出していた。 ただお互いの顔が見えない状況で、英語でのやり取りは思った以上にハードルが高かった。Aninoからのフィードバックは、私の企画書のほとんどの部分を削除したバージョンだった。

おそらく私のイメージしている走馬灯(日本的な文脈と、個人的な文脈が入り混じった)のニュアンスがうまく伝わらず、Aninoは少女たちが(死に直結する形で)現実逃避することを促してしまうのではないか、と懸念していた。またAninoは少女たちとの共同作業に対してかなり慎重になっていて、それはもっともなことだとも思った。

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私はフィリピンの社会的背景も、彼女たち一人ひとりの体験についても知らない。言葉で教えてもらったとしても、それをいわゆる“ステレオタイプな”形で想像することさえ難しい。 そしてたぶん、私の考えている“ステレオタイプな”走馬灯のイメージだって、まったく新しい概念みたいに説明し直さないと伝わらないのだ、というあたりまえのことを実感した。
なぜかといえば今日JKと、お互いの使う言葉を、社会的・文化的文脈にさかのぼって、ひとつひとつ解きほぐすように話をして、もともとのコンセプトがようやく伝わったから。

JKの意見から、フィリピン社会の死生観にはカトリックの影響が根深いこと、彼女たちは“死”と向き合うことでかなりの恐怖を感じるかもしれない、ということがだんだん分かってきた。ハイリスクではあるし、最終的な判断はACAYに委ねるしかない。が、コミュニケーションの取り方に細心の注意を払うことで可能だと思う、チャレンジする価値がある、という意見は私もJKも同じだった。

意味論を専攻していたSipatのメンバー、Meilaに参加してもらってはどうか、という提案がJKからあり、手詰まり感があったワークショップにも少し光明が差してきた。Meilaは出産したばかり。ACAYの女の子たちとの共同作業で、いい空気をつくり出してくれそうな予感がある。

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ミーティングが終わると、JKが階下でエクササイズをやってるから参加するかという。ヨガかと思って気軽に参加してみたら、結構ガチなダンス・トレーニングだった。隣でやっていたJKは「ぼくはもうコンセプチュアル・アーティストでいい!」と悲鳴を上げていて、私も同感。あっという間に汗だくになって30分ほどで脱落。Ireneが用意してくれた昼食を食べ、シャワーを浴びにホテルまで戻る。

新しいJKの家とホテルの位置関係を確かめたくて歩くことにしたが、外は真昼の午後2時半。今年は異常気象のためものすごい暑さで、少し前には最高気温45度を記録したらしい。さすがにフィリピンの女性たちも日傘を差している。Malingap(マリンガップ) 通りには、やたらおしゃれなカフェやレストランが増えたような気がする。以前は気づかなかっただけだろうか。

シャワーを浴びた後は、疲れ果てて17時頃までうたた寝してしまった。起きたらようやく日暮れ時、まだじわじわと汗が出る暑さ。階下のカフェで、JKたちのミーティングが終わる20時まで日本の仕事をする。

すっかり暗くなってからJKたちと合流し、懐かしのMaginhawa(マギンハワ)通り近くにあるBig Bというハンバーガーショップで夕食をとった。「BLUE ナントカ」というドリンクがあって、飲む人のemotionに合わせて作ってくれるというのでカクテルかと思って頼んでみたら、店員が卓までやってきて「どんなemotionがいいか」と訊く。センチメンタル、と頼んだら、おもむろに席に腰かけてアンニュイな表情で誰かを待つような仕草をし始め、やがて泣き出して、そのままブルーハワイ色の液体(ノンアルコールの砂糖水)をボトルについでくれた。まさかの演劇付きメニュー。半分も飲めなかった。

Maginhawaは昨年より洗練された雰囲気になっていて、活気があった。大きくてまるでカフェみたいなコインランドリーには家族連れや若い人がたくさんいて、全部の洗濯機が回っていた。7.5ペソ/キロ。レストラン、カフェ、バーには必ず通りにはみ出したテラス席があって、10m歩くごとにJKの友だちに出くわした。つまりは20代のアーティストやクリエイターたちがたむろしているということ。

そのうちの一人の男性について、あとでJKが「彼はぼくの生徒だった」と教えてくれた。すごく才能のある俳優だったけど、14歳の頃から悪い友だちができてお酒を呑んだりし始めて、ジョリビーでアルバイトを始めて、演劇もやめてしまった。今21歳で、何かしているわけじゃないけど、元気そうでよかった、と。彼のストーリーにも心動かされたけれども、「ジョリビーで働き始めた」ことがドロップアウトを象徴することが印象的だった。

帰り道にはJKの好きな人(片想い)の家があって、みんなでピンポンダッシュしようとしたり、彼の車のナンバーにJKの名前が隠れていると大騒ぎして写真を撮ったり、キャピキャピしながら帰った。

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フィリピン日記 20160502

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2016年5月2日(月)

13時30分成田発のフィリピン航空で、マニラのNAIA空港ターミナル2に17時30分に着く。時差は1時間なので5時間のフライト、出発が30分遅れたが到着は予定時刻より少し早かった。

3度目ともなると、着陸直前の飛行機の窓から見える景色にも慣れてきた。飽きたというのではなく、ああこの景色だ、と思う。イミグレーションと荷物受け取りもスムーズに済んで外に出ると、NinyaとDebbieが迎えに来てくれていた。

Ninyaは照明デザイナーで、KARNABALを主催する劇団『Sipat Lawin Ensemble(シパット・ラウィン・アンサンブル)』のメンバー。
マキリンのPHSA(Philippine High School for the Art)出身者ばかりのSipatの中で唯一、別の学校で舞台芸術を学んだ。車が彼女の母校、サント・トーマス大学の横を通過する。この大学は、スペイン統治時代につくられた、アジアで最も一番古い大学らしい。

車内での話題はもっぱら、来週月曜に迫った国政選挙について。「今の有力候補は失言が多くて、彼が大統領になっちゃったらいろいろ問題が起こると思う。6年前に今の大統領が選ばれてから経済がすごく良くなって、みんな豊かになって車が買えるようになったんだよ。そのせいでこの渋滞なんだけど」とNinyaが言う。彼女は終始いろいろと話しかけてくれながら、アジア最悪ともいわれるマニラの渋滞のあいだをスイスイ進んでいく。シェフである父親が長く海外にいたせいで、背が高くて大人びて見える彼女は12歳の頃から車を運転していたらしい。

前回は金曜の同じ時間帯だったのでひどい渋滞だったが、今回は月曜なのでそこまでひどくない。とはいえ、ところどころまったく車が押し合いへし合いしてまったく動かないところもあり、ケソン・メモリアルパークの七色にライトアップされたモニュメントが見える頃には20時を回っていた。

まずは1月のリサーチでも泊まったMatino(マティーノ)通りのホテルにチェックイン。ここは24時間ドアの前にガードマンがいるので、0時を回ってから一人で帰ってきても心強い。
前回は窓がない部屋だったので日中に長時間いるのがつらかったが、今回は通りに面した大きな窓もあり、仕事もしやすそう。嬉しい。JKたちの新しい家でやっているタコパーティに向かった。

新しいJKの家は広くて清潔だと聞いていたが、想像以上だった。大きなLDKと各階にバスルームがある3階建て、6室ある個室のうちいくつかには専用のバスルームもついている。ここに泊まれるならみんなと顔も合わせやすいしベストだったのだけれど、残念ながらボランティアスタッフや先に決まっていたアーティストの滞在予約ですでにいっぱい。フェスティバルディレクターのJK、Sarahに加え、Sipat のメンバーであるAlon、Clyde、Ness、Yenyen、Nessの夫・Ralph、Yenyenの彼氏のSigなどなど、とにかく大集合していて、みんなが全身で「おかえりー!!」と迎えてくれた。

りっきーの企画は関西在住のアーティストたちを加えた『Team Exchanger』として、私も『パラダイス仏生山』で参加しているAAF(アサヒ・アート・フェスティバル)に今年から参加している。キックオフでお会いしたメンバー、Yuko Nexusさんとも再会。りっきーとYukoさんの振る舞うタコの手料理をみんなで囲む。

こちらの人はあまりタコを食べないらしく、りっきーはタコを手に入れよう(捕まえよう)とフィリピン各地を旅している。テーブルの上には、タコを食べない人用の料理もあった。フィリピンの調味料も取り入れたアレンジだったが、大阪に留学していたこともあるJKが「日本的な味付けでおいしいね!」とニコニコしていた。

実は今回、来る前までプロジェクトの重要な部分がいくつか決まっていなかった。とはいえ予定していたワークショップ日程に合わせて航空券をおさえていたので、実施できるかわからないまま、とりあえずフィリピンに来てしまった。
一方で、メールでのやり取りでは限界があって、これ以上は会って話さないと先に進まないとも感じていた。昨年一緒にトライアル版を上演したとはいえ、私も英語が堪能なわけではないし、お互いのこともまだ十分に知らない。企画自体、やや難しい立場の一般人を巻き込むものなので、いろいろと調整や交渉が必要だった。

ところが調整を重ねているうちに、話が当初のコンセプトからだいぶずれてきた。私なりにメールで思いの丈を伝えたつもりだったけれど、相手の意思決定のプロセスが見えないストレスも感じていた。

行きの飛行機の中では、来てからポシャったら、残り1ヶ月でリサーチからやり直そうと腹を決めた。頭のなかでプランBとプランCをいったん描いて、あとは顔を見て出たとこ勝負で話そうと覚悟したら、「そういや、いつもそうじゃん」と思って、気持ちが楽になった。

この日記を書いている時点でまだ、結果はわかっていない。でもJKと会って直接話したことで、同じ懸念を共有できていたことがわかったし、「これはやったらアウトかもしれないけど、やってみたい」と考えているところも同じだった。当初のコンセプトを、彼がよく理解してくれていることもわかった。おかげでだいぶ前向きな気分になり、明朝10時に改めてミーティングをしよう、と約束して、帰ることにした。

帰りがけに近所のガソリンスタンドにあるセブン-イレブンまでYenyenやYukoさんも一緒に歩いて行って、水とチョコとサンミゲルを買った。Yenyenの彼氏はまだフィリピン大学の学生で、人形劇をやっている。日本の文楽や浄瑠璃に興味があって、日本語を勉強しているらしい。前方を歩くYenyenの背中を見ながら、日本語で「彼女は、ぼくの愛(愛=タガログ語でシンタ=恋人)です」と言ったのが初々しかった。

セブン-イレブンからJKの家に帰るみんなと別れて、ひとりでトライシクルでホテルまで帰った。夜道をガタガタと激しく疾走するトライシクルに乗りながら、ああ帰ってきたな、としみじみ感じた。栓抜きがないのでフロントの女性にサンミゲルの瓶を開けてもらい、部屋で飲みながらこの日記を書いている。明日から猛暑のマニラでの一ヶ月半が待っている。

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