メルボルンの話(1)ギブ・ミー・チョコレート!

メルボルンへ向かう途上、乗り換えのクアラルンプール空港で。この写真を見て、フィリピンのMariaは自分のおばあちゃんも「ギブ・ミー・チョコレート」を言ってたんだって、とコメントをくれた。

2月下旬から今日まで約10日間、今年新しく立ち上がったAsiaTOPAという舞台芸術祭に参加するため、メルボルンに滞在していた。

私が参加したのは2月22日~26日まで開催された『XO State』という、オペラシアターの舞台上で繰り広げられるナイトクラブイベント。マニラを拠点に活動する劇団Sipat Lawin Ensembleの作品「Serbisyo」(セルビショ=サービス)のメンバーとして、”Give Me Chocolate!”というパフォーマンスを上演した。

『ギブ・ミー・チョコレート!』という作品は、2015年12月に本牧アートプロジェクトの参加作家として制作・上演したものだ。まず、本牧で暮らす人たちで「GMC」という秘密結社を結成する。観客=参加者たちには、まちに潜伏する彼らを探し歩き、出会うことができたらあらかじめ決められた合言葉や仕草で接触する、というミッションが課せられる。無事ミッション成功すればチョコレートを受け取れる、という(便利な言葉を使えば)観客参加型の演劇だ。2017年1月にも再演した。

ある年代以上の人にはよく知られたことだが、本牧のかなり広範な部分が戦後から1982年まで米軍に接収されていた。だからこそ「ギブ・ミー・チョコレート」という言葉は「フェンスの向こうのアメリカ」の記憶であり、日本の敗戦や占領時代を象徴する言葉だった。
でも今回はフィリピンとオーストラリアの友人たちと作り、観客はほぼオーストラリアの人たち。必然的に言葉の響きが変わってくる。

そして私はこのメルボルン版を準備し始めるまで、オーストラリアの人たちにとって太平洋戦争が「日本との戦い」だったことを知らなかった。フィリピンには2015年から何度か通い現地制作もする中で、ごく基礎的な知識は身につけてきた、と思う(まだまだ足りていないが)。だがオーストラリアに関しては、本当に全然知らなかった。

AsiaTOPAでの上演後、ゴールに辿り着いたうちの数名とは、そんな個人的な経験についても話した。ただ私が何かを言い出す前に黙って抱擁してくれる人も多く、逆に彼らにとって意味するものを思い知らされた。そんな意味で、今回は劇場版でもあったけど、複数言語・複数国籍の戦争の記憶が交錯する(ざっくりな言い方だけど)「アジア版」でもあった。オーストラリアで行われたアジア芸術祭だったからこそ、なおさら「アジア」について考えさせられた、というのもある。

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参加することになったきっかけは、マニラで毎年開催される舞台芸術祭KARNABAL Festilvalだ。2015年からInternational Exchangeという枠で招聘してもらい、3年間という期限付きでワーク・イン・プログレスの作品を制作している。

SipatはこのKARNABALを主催・運営していて、芸術監督をつとめるJK Anicocheから、マニラ滞在中に声をかけてもらったのが最初だった。

Sipatは数人が小作品を持ち寄るコレクティブワークを想定していた。当初は「LOVE project」というコンセプトだったので、それに合わせた企画を提案したのだが、Sipatのメンバーたちの作品内容が固まってくるにつれ、コンセプトは”Hidden Economies”そして”Serbisyo”へと展開した。といっても大筋は変わっていなくて、よりフォーカスが絞り込まれていった感じだ。

ただ私は日本にいて、その展開のプロセスには立ち会えなかったこともあり、軌道修正には手間取った。AsiaTOPAが新しい演劇祭で「当日、全体としてどうなるのか」、主催者を含め誰もわからなかった、ということもある。またSipatは1~2週間の現地滞在制作を希望していたがTOPAに受け容れてもらえなかった。私は最近、数年かけて現地に通いながらつくるサイトスペシフィック・ワークばかりやってきたので、現地に一度も行くことなく何をどうやって作るか途方に暮れた。

ちょうどフィリピンから帰国した夏以降はThe CAVEの立ち上げ、NPO法人場所と物語の立ち上げ、ロフトワークでの仕事スタートなど公私ともども「0→1」のプロジェクトが重なってしまった。加えて3~4年前から継続してきたパラダイス仏生山や本牧アートプロジェクトも抱えている中で、企画は迷走し(後述)、最終的に”Give Me Chocolate!”に決まったのは2017年1月、本牧での『ギブ・ミー・チョコレート!』の上演中だった。

その直前まで、劇場のそばで観客を巻き込み穴を掘るという「おあなさま」という企画を提案していた。国内でやろうと思って1年以上前から温めていた企画だ。実現に向けて土木関係のプロにも相談しかけていたのだが、技術的にも状況的にも難しいという芸術祭の判断で(行ってみてよくわかったが、穴を掘れる地面なんかどこにもなかった)諦めざるを得なかった。もしかしたらまた別の機会に、フィリピンか九州でやるかもしれない。

2016年12月予定だった本牧での『ギブ・ミー・チョコレート!』が、私がインフルエンザに罹ったため年明け1月にずれこんだ影響もあった。2月の前半にはTPAMThe CAVEがフリンジ会場として参加し、4アーティストを受け容れた)を控えていたので、小作品とはいえ待ったなしだった。

くだくだ言い訳がましいことを書いてしまったけど、とにかく状況が切羽詰まっていたおかげで、結果的に新しい企画ではなく再演ほやほやの『ギブ・ミー・チョコレート!』を、まったく違う場所と文脈、まったく違う登場人物、まったく違う観客と一緒にやることになった。そして「ある土地で育てたサイトスペシフィック・ワークを別の土地へ持っていって、現地に適応させる中でコンセプトを鍛える」というプロセスを体験できたのは、とてもいい経験になった。

つづく。

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