危口さんのこと

2017年3月19日(日)

メルボルンの日記もまだ途中で、そして今、自分は武雄にいるけれども、書いておかなきゃと思った。だけど誰かに読んでほしいと、あまり思っていない。
演出家の危口統之さんが亡くなった。3月17日だった。私自身は、特に親しかったわけでもない。何度か演劇人の集まりで一緒になって、ほんの少し言葉を交わしたことがあるだけだ。最初に会った時、かつてペピンを観たことがあると言ってくれて、それが超スランプ期の作品だったから冷や汗をかいた。
ペピンの役者だった知子が何度か「悪魔のしるし」の公演に出演していたから、私もいくつかの公演に足を運んだことがあった。好きな作品も好きじゃない作品もあった。知子から優しい人だと聞いていたが、気難しそうで、頭も良さそうで、私は人見知りもするから、最初は話すのが怖いと思っていた。

だけど京都のロームシアターでようやくまともに搬入プロジェクトの記録を観た時に、はっきりとこのプロジェクトが好きだと思って(もちろんすでに世界中で上演されていたのだけど)初めて、危口さんと話したいと思った。このプロジェクトがとても好きだ、と伝えたいと思った。そんなこと私に言われる必要があるとは思えないが、それでも、この人と話さなくちゃと思ったのだ。

私も(「も」と一緒くたにすることが正しいかわからないが)なんていうのかな、演劇になりきれない作品をつくったり、演劇をやるために劇場の外に出ることが多かったから、活動領域が近いような気もしていた。建築をバックグラウンドに演劇をやっている危口さんと、演劇をコテコテにやってきて建築や不動産の領域で仕事している自分と。まあ演劇界全体で見たら比較的、っていうだけなんだけど。

とにかく彼と話したい、と思っていた。私は演劇情報をこまめにチェックする方ではないけれど危口さんの公演情報は彼自身からSNSで届いていたから、何度か見に行くチャンスはあった。『劇的なるものをネグって』(2016年7月)とか『歌舞伎町百人斬り』(2016年10月)とか。だが自分の公演準備が重なったり遠方に滞在していたり、いろいろな理由で結局は逃し続けた。

最後に会ったのは2016年10月末、岸井大輔さんの作品の上演会@blanclassで、私がトークゲストとして招いてもらった時だった。危口さんは観客として来場していた。岸井さんが「あれ、石神さんと危口くんはつながっているんだっけ」と聞いてくれて、あ、はい。みたいな返事を二人してしたけど、これからトーク登壇というタイミングだったから、それ以上の話はしなかった。終演後に話したいと思ったけど、誰かに話しかけられたり挨拶したりしているうちに、危口さんの姿は会場から見えなくなっていた。その時、チャンスを逃したな、と思い、心残りだった。

よく考えたら初めて会ったのも、岸井さんのトークに登壇した後の飲み会だったと思う。危口さんと親しい藤原ちからさんが紹介してくれて、彼ら二人の話を聞いていた時に「これでも僕にも多少の功名心はあるから…」と言っていたのが、なぜか記憶に残っている。
もうひとつ覚えている姿は、ちからさんが主催した『緊急ミーティング 政治、いや芸術の話をしよう』に危口さんが登壇した時だ。開演前、来場者に終演後の飲み会が案内された時、危口さんは「僕は演出家として、この会場を出たら全員が黙って電車に乗って家に帰ることを提案したい」といったような発言をした。そうしたいかどうかは別として、彼の提案したその「美しさ」には賛同せざるを得なかった。そして実際に終演後、劇場の外で他の演出家と話していると、危口さんが出てきて、黙って誰とも目を合わせないようにして足早に去っていった。彼は彼の考える美しさを実践していたのだから話しかけるわけにはいなかったけど、少し残念だった。

私は彼に何か伝えたかったのか、彼に何かを聞きたかったのか、自分の気持ちが判然としない。ただ何ていうか、もうちょっと話をしたかった。でも「危口さん」と話しかけた次の言葉が出てこない気がして、声をかけられなかった。

彼の病気を知ったのは公式に告知が出た2016年12月だと思うが、11月に癌が発覚したとブログで読んだ。私がblanclassで彼を見かけたのは10月末だったから、そのときにはもう痛みを抱えていたのかもしれない。何れにせよ彼に残された時間がもうあまりないことを知って私は、あれが最後のチャンスだったのだと思い知った。親しいわけでもない私が、危口さんの限られた時間や体力を奪うわけにはいかない。今更メッセージを送ったり、会いに行くことはあり得ないと思った。

そういえば危口さんも私も最寄駅が同じで、ちからさんが危口さんと飲んでいる時に、声をかけてくれたこともあった。そういう、ひとつひとつの小さなチャンスを逃し続けて、ここまで来てしまった。私は本当に、何が大事なことかわかっていないバカだ。危口さんが末期癌だと知った時、今の私にできることは、彼にメッセージをしたり彼の日記をシェアしたりしないことだと思った。それはもっと近しい人がするべきことで、私にできるのはただ読んで、黙って心の中で応援するだけだと思った。私は自分が彼の病気について、彼について、あれこれ勝手なことを書いてしまい、それが万が一病床の危口さんの目に触れてしまうのが怖かった。でも今思えば、彼の日記をシェアするくらいのことは、彼の病気を「盗む」ことにはならなかったのではないか?もしかしたら危口さんを応援していることを本人に少しでも伝えられる行動だったのではないか?とも思う。

訃報に接した翌日、つまり今朝ほんの数時間前に、危口さんの夢を見た。といっても本人は出てこなくて、危口さんと親しい共通の友人と、彼の死について話しているという現実的な夢だった。ただ夢の中で私は号泣していた。もう会えないこと、尊敬していると彼に伝えられないことがたまらなく残念で、悲しかった。それで初めて気がついたけど、私は何かを話したかったんじゃなくて、ただ尊敬していると言いたかったのだ。本当は会って、伝えたかった。私が言う必要なんかないかもしれないが、私はあなたの作品や活動を支持すると伝えたかった。あなたが生きているうちに。

病気と闘っているときよりは、すべての苦しみから解放された今だったら、こうした言葉を伝えることも許されるかもしれない。私はあなたの作品や活動を尊敬し、応援していた。あなたの生み出したものがこの世界に存在していることを、ほんとうにほんとうに心強く思っていた。

私がこの世でしばられているちっぽけな遠慮や自尊心から解放された時に、その時こそ彼ともう一度、話をしたい。
危口さん、どうか安らかにお休みください。

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