気仙沼日記 20160911


2016年9月11日(日)

土日で半年以上ぶりに、気仙沼を訪れた。
2012年春から鹿折の浦島地区、通称「四ヶ浜」という沿岸部の集落の防災集団移転に関わっている。

最初のご縁は、ペピンの下ちゃんがNGO職員として震災直後から現地の支援に入っていたことだった。まちづくりや家づくりに専門家のアドバイスを求めているというので、建築家の方々を紹介したのだが、いつの間にか私も「四ヶ浜防集アドバイザーチーム」のひとりとして、気仙沼に通うようになっていた。


到着してまずは大浦へ。和裕さんの新しく建てたお家の屋上でBBQ。夏はここから花火が見えるそうだ。気仙沼ホルモンと厚切り牛タンと松茸ごはん。最高。


次は梶ヶ浦へ移動し、気仙沼の父・邦夫さんの新邸へ。手前の壺は、津波で唯一残った家財。写真もなんも無くなったけどこれだけ山に引っかかってたのよ、災難除けだから外国行くなら触っとけ!って出してきた。

出会った頃に、邦夫さんが自分たちの集落跡へ案内してくれたことがある。邦夫さんの新築の家が建っていた敷地はもちろん、集落全体が更地になっていた(瓦礫はすでに撤去されていた)。人も亡くなっている。ちなみに四ヶ浜は、津波が引き起こした山火事の被害も大きかった。山と海が近いため、住民の皆さんは水と火に挟まれてほとんど逃げるところもなかったという。

「津波の3日くらい後だったか、家どうなってるかと思って見に来たのよ。そしたらぜーんぶ流されてて、なーんもなくて。ただ水洗トイレの便器だけが、モニュメントみたいにきれいに残ってたんだわ」

邦夫さんはいつもこんな感じだ。こっちは笑っていいんだか泣いていいんだか、わからない。そんな邦夫さんの語りが、大好きだ。海外へ行く時にはお守りとして、邦夫さんがくれた鮫皮の小銭入れを使うことにしている。


夜は、浦島振興会の会合へ。この教室に通うようになって4年半。閉校した小学校の利活用プランと山積する問題。煮え切らない行政との渡り合い。自治の主導権のありか。夜の会議は紛糾し、大幅に予定時間を超えた。こういう泥くさい話、語弊があるかもしれないが、私にとってはすごく面白い。演劇だと思った。

被災した皆さんの苦しみ悲しみ、たくさんの失ったもの、震災からの5年間。それに引き比べるべくもないのだけれど、支援する側には支援する側の葛藤や、悩みがあった。そんな話ももうそろそろ、書き残さなくちゃなと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です