フィリピン日記 20160612

2016年6月12日(日)

今日はKARNABAL最終日。
MagitingのJKの家に集まり、8・9日に『Tok! Tok! Talk!』のカンファレンスが押しまくって、登壇できなかったDavidとArcoのプレゼンを聞く。

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( Image by KARNABAL FESTIVAL 2016)

DavidはJKたちの劇団・Sipat Lawin Ensembleをオーストラリアへ連れて行った時の話。Sipatは日本の小説「バトル・ロワイヤル」を下敷きにした問題作「バタリア・ロワイヤル」をフィリピンで上演してかなりの話題になった。この作品が生まれるきっかけにはJKとDavidの共時的なシンクロがあったのだが、かなりサイト・スペシフィックな作品(観客は出演者たちを追いかけて走り回る)であり、また文化的・社会的背景も異なるオーストラリアでは、そのままの再演は難しいと判断。結果的に作品とフィリピンの社会的背景、上演に対する観客のリアクションなども含めたプレゼンテーション形式をとった。国を超えて作品を持って行く時、どのように翻案(adaptation)するか。そんな思考と実験の過程を追えるプレゼンだった。

(余談だが後日、日本で出会ったメルボルンの舞台芸術プロデューサー・Kateはこの時の彼らの上演―『A Wake: Kids Killing Kids』を観たそうで「すごかった。私の人生を変えた」と言っていた)

Arcoはベルギー出身のダンスの演出家・振付家。KARNABALのキュレーターでもあり世界的に活躍するダンサー・Eisa Jocsonのパートナーで、彼女との共同制作も多い。彼の話はかなり刺激的だった。自分はアジアの数カ国で作品をつくっているが、相手の国の言語をいっさい学ばない。相手の文脈も自分の文脈も関係ないところで、ただ自分とダンサーとのあいだでエネルギーをぶつけあい、何が生み出せるかに興味がある。そのことを彼は、第三の場所(The Third Place)としてまっさらなページを生み出すと表現していた。なんだか脳みそに手を入れられて、閉じてたところをこじ開けられたような感じがした。

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( Image by KARNABAL FESTIVAL 2016)

午後2時半からはPapet Museoに移動し、Tassos Stevens率いるConey(ロンドン)の作品『We’re Going To Tell You A Secret』に参加。Chris、Issaという、どちらも劇作家・演出家・パフォーマーである二人をコラボレーターとして迎え、三人が順番に劇場のあるMaginhawaエリアをフィールド・ワークして出会った人・もの・まちに関するクイズを出題する。参加者が初対面同士のグループに分けられ、クイズに答えてポイントを競ううちに、普段は見過ごしているこのまちの風景や人々の物語が立ち上がってくる。Tassosにとって今回が初めてのフィリピンなので、この1〜2週間のフェスティバル期間中につくったことになる。すごい。

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( Image by KARNABAL FESTIVAL 2016)

私は高校生〜大学生の姉妹・従兄弟のグループと一緒になり、クイズで優勝してしまった。最後にTassosが、ブランク・チケット(KARNABALで採用している、観客自身が対価を書き込んで支払うチケット)で入場料を払う代わりに、そのお金でMaginhawa通りにいる誰かにプレゼントを買ってあげてくれ、と言ったのが印象に残った。

続いてEa Torrado & Nikki Kennedyによる『How Can I Miss You』。昨年のInternational Exchangeプログラムで生まれたプロジェクト。今回はワーク・イン・プログレスの作品として今後育てていくいわば「タネ」のプレゼンテーション。音・照明など技術面でいろいろなトラブルに見舞われたけれど、女性が演じるヒロイズムのずれを通してジェンダーについて問題提起する、勇ましい作品だった。私もこれまで、ジェンダーについて作品の中で取り上げてこなかったわけではないけれど、自分の身体を通してジェンダーの話に言及する勇気はない。何でなんだろう、ってことをもやもやと考えた。今でも考えている。

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( Image by Nikki Kennedy)

ランチの時間がなかったので、大急ぎでAte Fe’s Kitchenへ行き、パンシット・カントンをかっ食らう。今日はどのプログラムも楽日なので、見逃せない。

KARNABAL最後の演目となる、Issa Ropezの「I」。これも昨年のInternational Exchangeから生まれたプロジェクトだ。コラボレーターのSiobhan(アメリカ出身のパフォーマー)は今年、KARNABAL期間に来れなかったのだが、Issaが秋に2ヶ月ほどアメリカに滞在して共同制作する予定だという。全編タガログ語だったが、事前に英語訳が配られたのが、とてもありがたかった。

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( Image by KARNABAL FESTIVAL 2016)

この作品はIssa自身が生まれる前からこれまでを振り返り、「I=わたし」は誰なのか、そのアイデンティティを描き出そうとする直球のコンセプト。そのまっすぐさが、とても力強くて、美しかった。観客は彼女を囲むように座り、ところどころ手を引かれて劇の中の登場人物になる。彼女自身が演じる“彼女の”出産シーン、つまり彼女が母親から生まれるシーンでは私も舞台上に導かれ、産婆としてお産をする彼女の手を握っていた。ところが“彼女”が生まれたとたん、今度は生まれた赤ん坊として彼女に抱かれていたのだった。

私が観た最終回は、彼女のお母さんも客席にいた。彼女の両親は活動家で、牢獄に入っていた時期もあった。今もNGOのボスとしてさまざまなコミュニティを支援しているお母さんは見るからに気丈な人で、力強い声で感想を話していたがIssaに「Eccelently survive(本当によく生き延びたね)」と言ったあと、声をつまらせた。フィリピンという国で生まれて育った彼女と、その家族。成長の過程ではアメリカ文化の洗礼も描かれていて、ジューイッシュ・アメリカン(ユダヤ人のルーツを持つアメリカ人)であるSiobhanとのコラボレーションが今後どう展開してくのか、とても楽しみだ。

とにかく、KARNABAL最後にふさわしい、すばらしい舞台だった。

いよいよすべての演目が終わり、終幕目前。クロージング・イベントは「DIYでインディペンデントなアートをつくるための方法」をまとめて一冊の本をつくる、という企画。参加アーティストたちが舞台上に集まり、自立してアートを生み出すために何が必要か付箋に書き出し、テーマごとに模造紙=ページに貼り出していった。最後はそれらをまとめて、表紙を付けて、がっちゃんこ。人間大サイズの本が、即席で出来上がったのだった。

最後はJKから、アーティストひとりひとりに大きなバンダナが配られた。端っこを結ぶとバッグになる。それを腕にかけてJKは「それぞれの家に帰りましょう」と言った。なんだか、なぜだか、しっとりした終幕だった。

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( Image by KARNABAL FESTIVAL 2016)

すべてが終わり、みんなが打ち上げ会場へと去った後、ステージの端にひとり腰かけていたJKが「終わっちゃったーー!!」と言った。その気持ち、わかるよ。私はなんとなく、すぐには打ち上げに行かず、舞台監督のNinyaたちと一緒に片付けが終わってトラックが出るまで劇場にいた。最後、ボランティアスタッフの若い子たちがエンジンを組んでチェックアウト(解散前に一人ひとりコメントを言う)をしていて、「また来年会おうね」と言い合っているのがよかった。Maginhawa通りをFlying House までゆっくり歩いて帰った。

 

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