フィリピン日記 20160519

2016年5月19日(木)

午後1時から劇場下見なので、11時過ぎまでカフェで仕事をしてからJKの家へ。すぐ会うけど、込み入った話を面と向かって英語で伝えきる自信がないので、TetaとJKにメールを書いた。

まず1つは、「ワークショップ」をやりたいわけじゃない、ということ。普段まちで何かつくるときは、ワークショップというよりただそこにいる人たちと話したり、ごはんを食べたりすることの方が多い。そういう時間の積み重ねの上でつくりたいものも、つくりかたも見えてくる。

限られた時間と言語の不自由さの中で物事を進めるために「ワークショップ」は理にかなっているのだけれど、それってつまり効率主義であり、なんか違う。

またACAYやパヤタスに行ってみて、「ワークショップ」という言葉に対する期待も感じた。何か価値あるものを学んで帰ろう、自分を成長させたい、といった向上心。それは前向きでいいのだけど、私は別に価値あるものを教えに来たわけじゃないし、彼らをenpowerできると考えるのは、(私個人に関しては)思い上がりだと思う。お互いに学び合うことはできると思うけど。

だからこれはワークショップ未満なのだ、teachingやlearningではなく、大事にしたいのは「sharing」なのだ、そのための場をデザインしたい、という話を書いた。

もう1つは、テーマの話。こちらに来てから、走馬灯というテーマを通じてぶつかったフィリピンでの「死」の語りづらさ、それを「未来」と言い換えたことで得られるものと失うもの、この国で「未来」という言葉のもつ響きの強さ。

未来を突き詰めればやがて死にたどり着くのに、彼らの未来は死を含まない。「死」と「未来」という2つのテーマのあいだで、フィリピン版・走馬灯について考えること。これは書いてる途中でJKがやってきたのでそのまま話したが、彼からは「僕はまだ、日本の文脈(この場合は、日本人が考える「走馬灯」)をフィリピンに持ち込むことにも関心がある」と言われた。うーん、たしかに。まだ答えは出ない。


午後1時になったので、Papet Museo(パペット・ムセオ)へ。ここは家族経営(?)の人形劇の劇場で、普段はあまり使われていない。1〜3階まであり、昨年のKARNABALでも会場になっていた。
劇場前でAninoのTetaが待っていた。そしてもう一人、バギオから来て下さった志村朝夫さん。彼はCGNの反町眞理子さんに紹介していただいた、豆本と紙づくりのアーティスト。バギオの山中にフィリピン人の家族と暮らしながら、バナナの葉といった現地の素材で手すき紙をつくっている。眞理子さんから「影絵の素材にどうか」と提案してもらい、工房を訪ねようと連絡を取ったところ、ちょうどマニラに来るから寄ります、と言っていただいたのだった。Diliman在住の友人・Rexさんも一緒だ。

上演を行うのは1階の劇場と決め、Tetaが持ってきてくれたスクリーンのサンプルと、眞理子さんに譲っていただいた和紙のサンプルを並べて相談。志村さんの和紙は光を通すと、模様がとても美しい。これを影絵に使えたら、余計な効果は不要だろう。

でも今回の上演ではかなり大きなサイズ(約1200×2000以上)のスクリーンを10枚以上使う。志村さんのつくる紙の最大サイズでも少しだけ足りない(それだってかなり大きいのだが)。心配していた強度は大丈夫そうだが、予算の問題もある。

Tetaが、和紙のまわりに別の素材でフレームをつけてサイズを大きくするのはどうかと提案してくれたが、志村さんからは、紙を使うなら紙だけの方がよいとアドバイス。たしかに、この紙の美しさが損なわれてしまう。素材に使うというより、紙そのものが主役になるような使い方がいい。

相談した結果、今年このこの時間の中で影絵のスクリーンとして贅沢に使うのは難しいと判断。もし使うなら本や印刷物など別の形に、もしくは来年に向けてまた別の展開を考えていこう、という結論になった。志村さんには雨の中をご足労いただいて申し訳なかったが、今回お会いできてAninoやJKにも引き合わせられたのは、今後に向けて心強い。


志村さんの紙づくりは、もともと豆本づくりから始まっている。志村さんの豆本は特にアメリカやヨーロッパで評価されており、現在の拠点はフィリピン。おみやげに活版でつくられた豆本もいただいてしまった。発行年月日は私が生まれる前…!志村さんがバギオの山中に構えている間襤褸庵(かんぼろあん。バギオからジープで3時間かけてポキンへ、そこから山道を徒歩1時間!)にいずれお邪魔させていただく約束をして、志村さんとRexを見送る。

JKの家に戻り、Tetaと打合せ。私の英語では細かなニュアンスまで伝えきれなくて、申し訳ない。お互いに忍耐が必要だよね…。それでも私の問題意識を、彼女は受け取ってくれたと思う。また具体的なアイディアを提案するから意見ちょうだいね、と話して別れる。

夕方4時からは、大井さんはじめソルト・パヤタスのスタッフの皆さんと打合せ。昼食を食べそこねていたので大急ぎで、MaginhawaのAte Fe’sという庶民的な定食屋さんでパンシット(焼きビーフンみたいな汁のないヌードル)をテイクアウト。とてもリーズナブルな店で、2人前はありそうな量で75ペソ。もりもり食べる。

ソルトからは大井さんに加え、ミレ、キャシー、シャルロットの3人が来てくれた。今日は私のプロジェクトのためでなく、彼らがパヤタスで実施している「ライフスキル教育」のプログラムでSipatができることを話し合う。JKがSipatやKARNABALについて紹介。キャシーとシャルロットたちストーリーテリングやプレイバックシアターといった演劇的手法に興味を持って、JKを質問攻めにしていた。盛り上がって何より。

最後に少しだけ、SOMATOの話もする。本番には7〜10人の参加者がパヤタスから来てくれることになった。

全体ミーティングをしているKARNABAL運営陣を横目にせっせとパヤタスの日記を書いていると、ちからさんがマリキナから帰宅。心配していた雨は早々に止み、充実したフィールドワークになった様子。今回、ちからさんは演劇クエストの本(ゲームブックの形式にのっとった本にしたがって、まちを歩いて体験する)を通訳を入れずに英語で書くという。演劇クエスト@マリキナ、かなり面白そう。フィリピンの人の反応も気になるが、日本人のお客さんこそ、ふつうに旅行するくらいならこういうのを体験すると楽しいと思う。話をしている途中で、りっきーも帰宅。Grooveで飲んでたという。日本人チームといっても、こんな感じで基本的には別行動。レッドホースを飲むちからさんを見ていたら自分も飲みたくなり、Malingap通りのFlying Houseでモヒートを一杯飲んで帰った。昨日、睡眠中にこむら返りを起こしたのでストレッチしてたら、いつの間にか眠りこけていた。

 

フィリピン日記 20160518

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2016年5月18日(水)

朝9時、Philcoaのジョリビー前で大井さんと待ち合わせ。大井さんはNPO法人ソルト・パヤタスの職員で、フィリピン在住十年以上。「ダンプサイト(ゴミ山)」で知られるパヤタスという地域の子どもや女性たちを支援している。彼らの多くはもともとケソンの街中のスラムに住んでいたが、都市開発(道路の拡張や駅の開発、ショッピングモールの建設など)によって政府に強制的に移住・定住させられた人たち。原則的に、ここから別の場所へ引っ越すことは許されない。

ゴミ山には「スカベンジャー」と呼ばれる、ゴミを拾って日銭を稼ぐ人々がいる。彼らはそれをジャンクショップで売ったり、業者に売る。かつては女性や子どもたちもたくさんゴミ山で働いていたが、2000年の崩落事故の後、15歳以下の子どもの立ち入りは禁止され、ゴミ山に入るにはIDと制服の着用が必要になった。現在、パヤタスだけで2000人くらいのスカベンジャーが働いている。彼らの1日の収入は10時間もの長時間労働にもかかわらず良くても100〜150ペソ。彼らがゴミ山から拾った廃品は、最終的には中国にたどり着く、と大井さんが教えてくれた。

ソルトの活動のひとつとして女性の収入向上(親の収入が低いため子どもが学校に行けない)があり、彼女たちに刺繍を教え、刺繍商品の開発・流通なども行っている。この前のジョリビーのパスポートケース(かわいい!)も彼女たちの手づくり。

夏休みなので比較的、道が空いている。20〜30分ほどでパヤタスに到着。ソルトの事務所兼ショップには、先日サンデーマーケットで会ったロレッタと、30代のダンダンがいた。彼女たちは若いながらマネージャーとして、お母さんたちの刺繍グループ「Rikha(リカ)」を取りまとめている。二人とも、今度の影絵に参加したいと言ってくれる。
元マネージャーでダンダンの母・ヴィッキーさんもやってきた。彼女は今、カシグラハン(同じくダンプサイトがある)という別のエリアを担当している。

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隣の建物には小さな図書館がある。司書のエルシーさんが、毎週金曜日には子どもたちのために色々なアクティビティをやっている、と説明してくれる。素敵な図書館だね、と言うと、とても嬉しそう。この仕事が好きなんだなあ、と感じる。
まずはエルシーさん、ロレッタとダンダンにプロジェクトの説明。彼らは影絵の体験を地域に持ち帰って、ここで子どもたちに教えたいという。

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その後、大井さんに集落を案内していただいた。危ないので一人では歩かないで、と、地元のお母さんがついてきてくれる。家並みのすぐ向こうに、ゴミ山が高くそびえている。日によってはかなりにおいがするらしいが、この日はうっすら、という感じ。

このあたりは「フェーズ2」と呼ばれるエリア。1丁目・2丁目みたいな感じで、フェーズ1〜4まで分かれている。どんどん高くなる&拡大するゴミ山のため、また別のダンプサイト(再定住地)への移住を余儀なくされた人たちもいる。政府は10万ペソ(執筆時点のレートでは約23万円)といった保証金をチラつかせて立ち退かせるが、抵抗した人は武力で強制退去させられ、保証金さえもらえなかったという。

野暮だが、なぜ彼らが抵抗するか聞いてみると「親戚も友人も、みんなここに住んでいるから」という答え。

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途中、リカのメンバーであるトリニダさん宅の前を通り掛かり、家にあげてもらった。裏通りに面して小さなサリサリストアを営む。いま2階を増築中なの、と自慢気に見せてくれる。隙間だらけの木造の床が抜けないかハラハラしたが、それぞれに結婚し子どもを産んだ娘たちも同居していて、この2階建て(この前まで平屋)に4家族20人が住んでいるという。キッチンも全家族分、4つある。あまりにも手づくりなんだけど、いろいろ工夫されていて面白い。トリニダさんは最近、白髪をピンクに染めたらしく、よく似合っている。歯のない歯茎を見せて、にっ、と笑う。

こちらは新築の2階の部屋、風が通って気持ちいい。2枚目の写真は2階のキッチン。3枚目は2階の窓からの景色、親戚の家も目と鼻の先なので、窓越しに世間話もできる。木製の窓(扉)にはちゃんとハンドルもついている。

パヤタス、そしてサン・イシドロといったダンプサイトは、湾岸部にあったいわゆる「スモーキーマウンテン」と呼ばれる初期のダンプサイトが閉鎖されたため、後からつくられた。それでも足りなくなり、今ではカシグラハンにもある。今度、影絵に参加してくれるダンダンとロレッタも、子どもの頃はゴミ拾いをしていたそうだ。

ここには、フィリピン随一の都市であるケソン中からゴミが集まってくる。フィリピンではゴミの焼却処理が禁止されている(有害物質の発生を防ぐような高温焼却炉が建設・維持できない)ため、あらゆる種類のゴミがただひたすら積み上げられていく。

ゴミ山の撮影は禁止されている。が、普通に街中で写真を撮れば背景に映り込んでしまう(ここは撮影OK)。子どもたちがバスケットボールをしている風景の向こうにも、ゴミ山がせり上がっていた。

写真でお母さんが手に持っているのが、スカベンジャーがゴミ拾いに使う道具。以前と違いゴミ山の角度や、発火を防ぐ砂利を敷くことなどが義務付けられ、今は「スモーキー」ではない。だがパヤタスでは2000年に大規模な崩落事故があり、数百人が家ごとゴミの下敷きになって亡くなった。

事故があった場所には慰霊碑が建っている。名前が載っているのは発見された約230名のみだが、実際の死亡者数は数倍ともいわれる。長雨によるゴミ山の崩落は、政府から委託を受けた管理業者の過失だった。遺族への保証金は一人たった3万ペソ、それも遺体が見つかった人のみで、遺体が見つからなかった人の家族には保証金すら支払われなかった。もちろん生き残っても、ゴミの鋭い破片で手足を失った人や後遺症に苦しむ人もいる。

捜索は途中で打ち切られたため、この慰霊碑の下にも、まだたくさんの人が掘り返されずに埋まっているそうだ。幽霊の噂も多い。少し前には修道女たちがやってきて祈りを捧げ、降霊させて死者の言葉を聞いたらしい。幽霊は、残された家族が心配で天国に行けない、と話したという。

トリニダさんの親戚の男性も3日間生き埋めになり、救出された時にはまだ生きていたが、真っ黒い水をたくさん吐いたあと亡くなった、と話してくれた。言葉がない。

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道端で水道管が破裂して、子どもたちがはしゃいでいた。トリニダさんが、私も昨日はここで水浴びしたのよ〜と笑う。私のカメラ(iPhone)を見て、「撮って!」とおちゃめなポーズを取る人も多い。男の人はアゴの下に指を添えるお馴染みのポーズをすることが多く、皆どこで見るんだろう、誰が最初にやったのかなあ、などと思う。

帰りは一人なので、ジープニーを乗り継いで帰る。ヴィッキーさんが乗り場まで送ってくれ、帰り方を教えてくれる。1台目のジープを終点で降りると、車内で隣と向かいに座っていた男の子二人組から「どこに行くの?乗り換えわかる?」と声をかけられた。ヴィッキーさんと私のやり取りを見ていたので、乗り換えがわかるか心配しているらしい。Teacher’s Village(フェスティバルの拠点があるエリア)と伝えると、同じ方向だから一緒に行こう、と乗り場まで連れて行ってくれた。

一緒にクバオ行きのジープニーに乗り込む。彼らはノルヴィックとシェルウィック、二人ともパヤタス出身で、勤務先であるクバオのホテルへ出勤するところ。隣に座ったノルヴィックは、フェーズ3に住んでいるという。

「どうしてパヤタスに来たの?」と聞かれたので事情を説明する。彼が、ぼくら二人ともパヤタスで生まれて学校も卒業したんだよ、と言うので、パヤタスは好き?と尋ねると、ちょっと困ったような顔で笑って「好きというか…だって、スモーキーマウンテンでしょ。でも、ホームタウンだから」と。大井さんからは、パヤタスの人は外で「パヤタス出身」だと言いづらい、差別されたり馬鹿にされたりするから、と聞いていた。

じゃあシェルウィックとあなたはgood friendsだね。と言ったら「そう、いや、best friendsだよ」と直された。

いつの間にか、ジープニーの外は本降りになっていた。Philcoaでノルヴィックがジープを止め、ここからMaginhawaまで歩いていけるから、と送り出してくれる。後からFacebook経由で「ちゃんと着いた?」とメッセージが入っていた。今度パヤタスに行くときは、向こうで会おうねと約束した。ソルトの人たちと引き合わせられるといい。

さすがにぐったりしたが、連れて行ってくれた大井さんに感謝。週に2日はパヤタスで過ごすという。タフだ。
ソルトは現地体験ツアーも開催している。彼女たちを支援することもできるので、関心のある人はウェブサイトを訪れてみてほしい。

雨が止むのを待ち、Kamias(カミアス)ロードのアップル専門店へ(モールにアップルストアがあるが、取り寄せにえらい時間がかかるらしい)。道中、水たまりで子猫が死んでいた。それをもう一度見るのがつらくて、すぐそばだけどジープニーを乗り継いで帰った。ありふれた光景でも、私はまだ慣れることはできない。ゴキブリは殺すけどね…。そしてMacの電源アダプタ、9000円以上したうえにコネクタがフィリピン仕様だった(涙。

その後、深夜まで作業。シャワーを浴びるとき、体から一瞬、パヤタスのにおいが立ち昇った。

フィリピン日記 20160517


2016年5月17日(火)

朝からずっとずっとずっと書き仕事。ワークショップで出てきた女の子たちのイメージをまとめてTetaに送ったり、日本の作業もあったり。夕方頃、少しだけ相談することがありJKの家へ行くと、ちからさんが降りてきた。午前中出かけて、一番暑い日中は昼寝をして、これからまた出かけるとのこと。ほんとうに、日の高い時間帯は家に引っ込んで体力温存(もしくは回復)するに限る。長丁場だし、リサーチの時とは違う体力の使い方・気の持ちようが必要だなとしみじみ。チームジャパンも三人そろい、嬉しいけど、いよいよ本番間近を感じておしりに火がつく。

JKの家でもずっとずっと作業。ここから週末まで人との約束が多いので、今日のうちになるべく作業を進めておきたい。インターネットのつながる場所を探して、階段、廊下、人の部屋など移動する。昨晩、勃発したバッテリーのトラブルは、どうやらACアダプタが原因だったらしい。接続すると通電はしている(つまり容量は減らない)が、充電ができない。コネクタの中の充電専用のピンがイカれてしまったと思われる。つないでおいたJKの家のコンセントが今日になったら死んでいたので、昨日の雷でやられてしまったようだ。

ホテルの延長をしてきてくれたNinyaが「ホテルの人たちが、夏希は毎晩飲んでるって言ってたよ!」と。えー!毎晩帰るのが遅すぎて(打合せなんだけど)、飲み歩いてると思われてるようだ。

黄金町バザール2013の時に知り合ったキュレーターの平野さんからお返事があり、アーティスト/アクティビストの友人を紹介してくれるという。有り難い。
影絵をつくる当日に、なるべくいろいろな層のコミュニティ(フィリピンはsocial classがはっきりしているので、できればそこを横断する)から参加してもらいたい。何人かのキーマンに当たっているが、まだ具体的な参加はACAYしか決まっていない。
平野さんはフィリピン人アーティストのマーク・サルヴァトゥスさんと黄金町で出会い、結婚・出産してクバオのあたりに住んでいる。ちょうど帰国中で秋まで大阪にいるのだが、遠隔で協力をお願いしたところ、快諾してくれた。

夜になって、数日前から連絡をとっていたSipat元メンバーのJoelleがボーイフレンドと一緒に来てくれた。彼らはMaginhawaのあたりでBig Bというバーガー屋さんを持っている若いビジネスマン。他にもこのあたりで数店舗を経営している。

このMaginhawaというエリア、いま行政が食のエリアとして力を入れている。Joelleのボーイフレンドは「僕たちはラッキーだった。僕らが店を構えたときはまだ20店舗くらいだったけど、そのあと50店舗くらい増えたよね」。Joelle自身はこのあたりの生まれ育ち。「私が小さい時はMainhawaには全然お店がなくて、できてもすぐ潰れちゃうエリアだったの。あの頃の私に今のMaginhawaがこんなだよと言っても信じられないと思う」と、言う。1年前から比べてもおしゃれなお店がずいぶん増えてるな、という印象は間違っていなかったらしい。

JKたちとしてはここを食のエリアとしてだけでなく、アートのハブとして存在感を発揮していきたいという企みもある。だが今の政府の方針では、いわゆるジェントリフィケーション=地価が高騰してアーティストが出ていってしまうかも、と。その背景にはマカティのアートシーンと、ここケソンのアートシーンの違いもからんでいるようで面白い。

閑話休題。今夜Joelleに来てもらったのは、彼らのまわりにいる若い起業家たちのコミュニティを私たちのプロジェクトの参加者として巻き込めないか、と相談するためだった。
Joelleからは、彼らは週末はお店が忙しいから難しいかもしれないけど声をかけることはできる、それより私の両親が教育専門家で漁師たちの家族をサポートしているから、そこの親子が参加したがるかも、と提案してくれる。本当なら、うちのスタッフたちにぜひ参加させたいけど、お店を閉めるわけにはいかないしなあ…と残念顔。Joelleのスタッフって多分、私にemotion入りの飲み物を作ってくれた人だ。いろいろ、つながってくる。

ちょうど、平野さんの紹介してくれたConさんというアーティスト/アクティビストからも返事が届く。なんとAninoのメンバー・Tetaとも友人!彼女は早速、North Triangleというエリアの人たちを紹介したいと提案してくれた。
彼らは都市開発(道路の拡張)などで政府から立ち退きを要求されたが、拒否。武力で強制的に排除しようとする政府と衝突を繰り返していた地域らしい。

特にこちらから、課題を抱えるコミュニティばかり目指しているわけではないのだけど(そしてごく普通の地域住民にもアクセスしようと試みているのだけれど)。彼らを吸い寄せているのは、やはりKARNABALの持つ磁力のような気がする。

明日は大井さんに同行して、パヤタスへ。2時くらいまで作業して、就寝。

フィリピン日記 20160516


2016年5月16日(月)

朝、ガラケーが鳴ったのに気がつかず、後から見たらパヤタスの大井さんからテキストメッセージが入っていた。昨日お願いしていたパヤタスへの同行について、今日ちょうど行くので、もし来れるなら9時半にフィルコーワのジョリビーで待ち合わせましょう、という連絡だった。気がついたのが遅くて参加できなかった、残念すぎる。水曜に同行させていただく約束をして、気持ちを切り替え、今日は予定通り作業を進めることに。物語の大枠を詰めるのは私の役割なのだが、なかなか考えが定まらない。そろそろAninoに何らかアップデートした情報を投げかけないと、今週末の影絵ワークショップが有意義に使えなくなってしまう。

JKの家で作業していると、インドネシアから帰国したりっきーが起きてきた。インドネシアはビールがほとんど売っていなかった話とか、アートや演劇に対する理解はここマニラ(もしかしたら日本よりも?)深い気がした、といった話を聞く。りっきーはどこでもりっきーだ、うらやましい。煮詰まってきたので、夕方涼しくなるのを見計らって散歩に出た。外は小雨、雷が鳴っていて、時たま空が光る。本降りの前に帰宅しようと急ぐ人たちを乗せ、トライシクルがあわただしく行き交う。歩いている私にも声をかけてくれるが、そのまま徒歩でACAYの家のあたりを通過し、Kalayaan Ave.へ。歩いているうちにお腹が空いてきたので、この前までJKの家があったMasigla(マッシグラ)通りを抜け、ダメもとでオーガニックフードの定食屋「シーボル」へ。でも、やはり閉まっていた。ここは安くて美味しいんだけど、昼しかやってないのだ。


仕方なく歩いて戻り、Kalayaan Ave.沿いのジェイズジェイでロミというヌードルを食べる。優しい味のカレーうどんみたいな感じで、食べやすかった。再びノートを前にうんうん悩む。ひとつ思いついたアイディアがあって、「選挙が終わったら会いに行くよ」と言っていたAninoのAndrewに「いつ来てくれる?会いたいな!◯◯というアイディアがあるんだけど」と衝動的なテキストメッセージを送ってしまう。すぐ隣のREGIONというカフェはネットがつながるので、そちらに移動してまた悩む。20時半頃、小雨の中をまた歩いてJKの家まで戻る。帰り道、りっきーが友だちになった映像作家のJohnをSOMATOプロジェクトのために紹介してほしい、と頼んだのは厚かましかったかな、などと反省する。途中、PINOへ向かうJKとばったり。アメリカからの友だちが来ているからよかったら後からおいでと言われ、うん後でねと別れたが、家に戻るとMacのバッテリーが充電できなくなるトラブルが発生。まじか。調べられた限りのトラブルシューティングを試すが回復せず。ちからが到着したらしいからPINOへ行くよ!と誘われたが、まずはトラブル解決しないと明日からの予定が狂うので、いったんホテルへ戻ることに。

ホテルでも引き続き復旧を目指すが、かなわず。もしかしたらMac自体を買い換えないといけないかも…。すべて投げ出してビールを飲みたい衝動を抑え、ちからさんとりっきーに、今日はPINOへ行けそうにないとメッセージ。明日起きてから何とかすることにして、階下のカフェでバタークリームいっぱいのナッツケーキを食べ、シャワーを浴びて早めに寝てしまうことにした。リセット。

フィリピン日記 20160515

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2016年5月15日(日)

ブスコパンのおかげか、お腹はだいぶ治まってきた。寝坊して10時ギリギリにJKの家に行くと、寝ぼけ眼をこすりながらJKがドアを開けてくれた。

JKとAaronと一緒に、レガスピ(マカティ)のサンデーマーケットへ。ここには先日NCCAギャラリーでお会いした大井さんの活動するNPO、ソルト・パヤタス刺繍商品を出店している。JKと大井さんを引き合わせつつ、今回のプロジェクトについて詳しくお話する約束だ。

少し遅れてマーケットに着くと、入ってすぐに大井さんが私たちを見つけてくれた。JKは、KARNABALが終わった後にでもパヤタスに行って、ストーリーテリングのワークショップができると申し出ていた。楽しい展開につながってほしい。

SOMATO(走馬灯。まんまだけど私たちのプロジェクトのタイトル)にも、パヤタスの人たちにぜひ参加してもらいたいと思い、大井さんと簡単な打合せ。子どもたちは学校が始まる時期なので難しいかもしれないが、お母さんたちが参加できるかも、と言う。「走馬灯」というコンセプトはある程度大人でないと理解できないので、むしろ有り難い。

今後、自分でワークショップをやっていきたいと考えている地元の図書館の司書さんも参加したいかも、とのこと。今回の出店で販売をしている刺繍商品の生産をするグループ「Likha(リカ)」の女性は、(差別されている)パヤタスを刺繍で有名にしたいと考えている。でも彼女の考えは、地域のリーダーたちにはなかなか理解されない。彼女のビジョンを形にする手助けになると嬉しい、と大井さんからご意見をいただく。

大井さんが商品開発も手がけているソルト・パヤタスの刺繍商品はサンミゲルやジョリビー、サリサリストアなどをかたどったもので、ユーモラスで本当に可愛い。私はジョリビーのお店がデザインされたパスポートケースを購入。JKはサンミゲルのタオルを買っていた。ビール好きのちからさんへのプレゼントかな?

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レガスピのサンデーマーケットは、富裕層向け。来ている人もスペイン系が多かったり、モデルや業界人みたいな洗練された人が多かったり…。質のいい商品が並ぶ代わりに、お値段も高め。お腹のことを考えて屋台での食事は我慢し、JKの家で飲むコーヒー豆や、天然素材の蚊よけスプレーを購入。ドラッグストアの商品は寝室で使うのがためらわれるので、こういうものが手に入るのは助かる。JKが、私のお腹にいいからとターメリック・パウダーを買ってくれた。

Magitingに帰り着くと、すでに2時近い。JKに頼んでこのBarangay(地区)のリーダーの息子さんと、Teacher’s Villageあたりの若い起業家たちのコミュニティにつながりのあるSipatの元メンバーを紹介してもらい、メッセージ。その後、JKとAaronは昼寝するというので、更新が滞っていた日記を書くことに。ターメリックパウダーとハチミツをお湯に溶かしたものを飲みながら、ひたすら作業。

昼寝から起きてきたJKが、大変なことになっていると言って、あるものを見せてくれた。KARNABALの企画に関するものなのだが、シークレットなのでここでは書けない…。とにかく、すごい企画。まじか。ほどなくして、その企画のディレクターがやってきて、これから起き得る事態と対応について、JKと相談していた。

今日は日曜日なので、公式にはKARNABALの運営もお休み。だから誰も来ないのだが、それぞれ自宅で作業をしたり、メッセージが飛び交っているらしい。JKも「つとめて仕事をしないようにしている」と言いながら、エネルギーが有り余っているのか、私が作業をしている横で意味もなく踊り始めたり、歌ったり、床を転げまわったりしている。子どもか。「落ち着きなさい」って言っても片時も座っていない。あまりにもじっとしていないので、しまいには大笑いしてしまった。

かく言う私も、残り物のアドボ(肉の煮込み)を温めて少し食べながら、作業続行。外食するよりIreneの家ごはんが断然おいしい。休みなく書き物をし続けて、気づいたら8時間くらい経っていた。久しぶりだ、こういう時間。

JKとAaronと夜の散歩をしながら帰った。マニラで夜道にゴキブリがいるのは猫を見かけるより普通のことだが、ホテルの廊下でゴキブリの子どもを2匹見かけ、葛藤しつつ踏み潰した。

フィリピン日記 20160514

2016年5月14日(土)

今日はいよいよACAYでのワークショップ当日。午前中はプレゼン資料の準備とイメージトレーニングをして過ごす。
12時前にJKの家に行き、Kei君と合流。が、ここで問題が。朝から国際交流基金の報告会のためマカティに行っていたJKのプレゼンが押し、まだ出られていないらしい。ワークショップは午後1時、最初のエクササイズや動画、プロジェクター等を彼にお願いしていたのだが、おそらく間に合わない。でも、そんな予感がしていたのだった。

動揺してクレヨンを忘れて取りに帰ったりしながら、何とか午後1時にACAY入り。事前には7人くらいと聞いていたが、12人もの女の子たちが集まってくれていた。16歳〜21歳なので、子どもや少女というよりは、若い女性たち。何人かはすでに外の職場でインターンをしている。

まずは自己紹介を兼ねてプロジェクトの紹介から。プロジェクターがないので、私のMacBook Air 11インチの画面を見てもらう。私とAninoの紹介、日本の走馬灯について、このプロジェクトについて。KARNABALについては動画を見てもらった。

普段はたどたどしいながらも英語で話すが、こういう時は日本語のほうが自分でも妥協せずに話せるので有り難い。Kei君がタガログ語に通訳してくれる。一番の難関である「死の直前に見る」という部分、ためらいながらも日本語でそのまま言ってみた。Kei君がどういうニュアンスで訳したのか、タガログを解さない私にはわからない。でもみんな、ふーん…ほー…という感じで耳を傾けていた(こういう反応の時は、頭の中で考えを咀嚼しているときだと後でわかった)。最後に「プロジェクトに参加してくれるかな?」と訊くと「YES!!(いいともー!)」という元気のいい答え。

JKはまだマカティを出られていないらしいので、エクササイズも自分でやることにした。日本でもよくやる、空間全体の密度や足の裏の感覚、お互いの呼吸・距離感を感じながら動くエクササイズ。最後はみんなでひとつの生き物のようになって、一緒に呼吸をしながら動きを終えていく、というアレンジにした。女の子たちは最初はバラバラに、はにかみながらペタペタ歩いていたが、だんだん動きがなめらかになって、呼吸が合ってくる。次は二人組になって片方が他方の動きを導いていくエクササイズ。相手の呼吸を感じられるように、ただそれだけのシンプルな運動。

これまでフィリピンの人たちを見てきた経験では、こういう身体感覚は元から鋭いようにと感じる(テレパシーみたいに)。でも彼女たちには、ある種の不器用さや集中力の薄さも感じた。集中力に関してはあとでJKも指摘してたので、彼女たちに特有のことだったのかもしれない。とはいえエクササイズが終わる頃には緊張や照れもだいぶとれ、動きに集中しているのが感じられた。とりあえずアイスブレイキングとしてはOK。

今日のメインプログラムは「普段の生活の中で好きな瞬間やシーン」と「将来、つくり出したい瞬間やシーン」を絵に描いてもらい、お互いにシェアすること。
シェアする方法としては、「この家の敷地内(庭や玄関もOK)で自分がここで話したいと思う場所を見つけて、そこに絵を貼り、みんなでツアーのように回っていく」という「シェアリング・ツアー」にした。って今回のためにつくってそう呼んでるだけだけど、昨年に高松市仏生山でやった『パラダイス仏生山』でのワークショップをベースに。

たとえばダイニングテーブルの上に置いた絵をみんなで囲んで聞くとか、階段の踊り場に貼って階段を客席のように座って聞くとか、暗がりに貼って秘密基地のように潜りこむとか、自分がどんな風に語りたいか、みんなにどんな風に聞いてもらいたいかもイメージしてね、と伝える。

人數が多いので2つのチームに分けるつもりでいたが、絵を描き始めた彼女たちを見て、やめた。というのも、すごく集中して、すごく気合を入れて描いてたから。彼女たちの一部は、バッグに自分でデザインした絵を描いて売ったりもしている。あと5分だと言っても、制限時間が来たことを告げても、やめる気配がない。描くのにもっと時間を使って、せっかく描いたものを全員でシェアする方がよさそうだと思った。

なので3つあったステップを2つにまとめて、シェアリング・ツアーは全員でやることに。Kei君が「発表できる人から手を挙げて発表すればいい」というのでそうしたところ、みんな「次は私!」という感じで我先に発表したがる。お互いの発表への質問やコメントも遠慮がない。

シェアする場所も、ダイニングテーブルの上、真っ暗なテレビ、棚の上、中庭の壁画の中、玄関の扉の外、空と太陽が見える場所、大きな木の幹、窓の格子、マリア像のそば…など、てらいなく、でもちゃんとどんな風に見て・聞いてほしいか工夫していて、楽しかった。

絵は、ACAYの家での暮らし、学校のこと、仲間と一緒に出かけた旅行、始めたばかりの仕事のこと…などに混じって、小さい頃の遊び、実在ではないがイメージすると落ち着くという光景を描いた子もいた。自分の過去として、真っ暗な闇を描き込んだ子が何人かいた。お互いに何があったか話すのを禁止されているので、こういう記号的な伝え方になるのかもしれない。

1つ目のシェアリング・ツアーの途中で、JKとAaronが登場。彼が演出家だと知った途端、「私、映画女優になりたいの」とかアピールし始める女の子もいた。あとでJKが「directorというとすぐ、映画やテレビの監督だと期待されるんだよね〜」と言っていた。わかるよ。うちの親戚にも、演劇といったら「劇団四季か?」って訊かれたよ。

2つ目の「将来、つくり出したい瞬間やシーン」を描いてもらう時は、「走馬灯で見たいと思うシーンを描いて」「シェアする時には、すでに起きたこととして話して」と伝えた。

こちらも、結構まじめに「将来の夢」「成長し続ける」みたいなイメージが多かったが(おそらく普段から、そういう自己啓発プログラムを多く受けているので)、なかには「金持ちになって噴水のある大きな家を住んでいる。その家には泥棒が迷子になるようにたくさんの階段がついている」とか「好きな人とフランスに行ってエッフェル塔を見た」とか「建築家になって、教会を建てた」といったのもあった。先生になりたい子や、自分と同じような境遇の子どもたちをACAYのように支えたい、という子も何人かいた。また家族と一緒に暮らして家族を助けたい、という子も。

先生になって学校に来ない子どもたちを教える、といった子に、他の子が「どうやってその子たちを学校に連れてくるの?」とつっこみ、つっこまれた方はちょっとひるみつつ、一生懸命「その子たちの夢を聞いて、それを実現するためには学校に来なければいけないと説得する」と言い返す場面があり、よかった。

振り返りで、どんなことを感じた?と尋ねると、これまたいろいろな意見や感想が出てくる。最初のエクササイズが気持ちよかった、すでに起こったこととして話しているうちに本当に起こったみたいで幸せな気持ちになった、など。意見や質問がバンバン出てくるのはいいが、どうしても、ちょっと優等生的になるのが気になる。
来週、影絵のワークショップがあるけど来てくれる?と訊くとまた「YES!!」という返事。それなりにもう大人なので、私の立場も汲んでくれてるのだろう。やりたーい!というより、おっしゃ、やったるでー!みたいな感じ(楽しんでくれていたとは思うが)。

大幅に時間を過ぎ、終わったのは午後5時。ACAYが用意してくれていた食事をみんなで食べて、また来週、と帰ってきた。

喉がカラカラだったのでKei君を誘い、近所のカフェにフルーツシェイクを飲みに行った。Kei君のあまりに充実したカレッジライフや家族のこと(母はフィリピン人の医師。父は日本人の建築設計士で、一度は退職したが請われて日本に戻っている)、織物や工芸が好きで日本にいた頃は絞りを習っていたこと、などいろいろ話を聞く。久しぶりに日本語でたくさん話した。

JKのおみやげにマンゴーシェイクを買って帰ると、Sipatのメンバーで2ヶ月前にお母さんになったばかりのMeilaが、夫のJacoと娘のMayaを連れてやってきた。昨年のKARNABALぶり!ロングヘアをばっさり切って、女っぷりが上がっている。

Sipat現役メンバーでは、初の赤ちゃん。みんなでひとしきりMayaにからみまくり(ちなみにSipatは大ワシ、Mayaは小鳥という意味がある)、3人家族を見送ったあとはいつものFlying Houseで食事。JKとYenyenのせいで、カトリックとゲイがらみの下ネタばかりで夜が更けていった。

フィリピン日記 20160513

2016年5月13日(金)

引き続きひどくお腹を下していて、食事もできないし、外出をためらう。正露丸も効かないので、現地の薬を飲む方がいいのでは…と思い至る。JKの家に通いで家事代行のような仕事をしているIreneに、こんな時どんな薬を飲むのか聞いたら「ブスコパン」との答え。神経性の胃痙攣のため、常備薬として日本から持ってきている。調べたら胃腸両方に効くらしい。あとで飲んでみよう…。

リビングで本を読んでいたライターのMixに、お墓を見たいんだけど、ケソンの近くにある?と訊いてみる。近くにないことはないが、少し離れたManila North Cemeteryに行くといいのでは、と教えてくれた。この墓地は人々の住まいにもなっていて集落ができており、そこに住む人は遺体を収めたり、移し替えたり、時期が来たら骨を破棄する仕事などもしている。

明日はACAYでのワークショップなので、足りないものの買い出しに行かなくてはならない。文房具を安く買うにはどこがいいかAaronに尋ねるとNational Book Storeなら間違いなくあるという(あとでJKから教えてもらったが、フィルコーワにも学生向けの文房具店があるらしい)。

近場で一番大きな店を目指して、クバオまで出かけることにした。クバオはマカティに取って代わられる前はマニラの中心的な商業集積地で、ショッピングセンターや企業のオフィスなども多い。そして、ちからさんが『演劇クエスト』を滞在制作する予定のマリキナは古くは靴の生産地として発展した都市だったが、クバオが経済の中心地として発展する過程で安い中国製の靴が大量に流入し、マリキナの靴産業は衰退してしまった、と聞いた。

出発前に、洗濯屋に寄る。女主人がいつもよりニコニコ愛想がいいと思ったら、店内にいた男性がどうやらボーイフレンド?だったようだ。「洗濯済みの服は後で取りに来ていいかな?9時までに来るから」と訊くと、彼女の代わりに男性が「8時!(ニッコリ)」と答えた。デートかな。
ターミナルになっているフィルコーワまで行き、ジープニーに乗る。なんだか見覚えのあるルートと違うような気がして、隣の男性に尋ねると、ちょっと迂回するルートだったらしい。

(いつものことだが)韓国人か?と聞かれたところから、なぜここに来たのか、何をしているのか、という話が始まる。彼、Gerryはケソンで、テレビ局の倉庫管理の仕事をしているらしい。マーケットに行く彼もクバオで降り、途中まで一緒に行ってくれるという。バッグに気をつけて!など、親切に気にかけてくれる。

「こっちの方が安いかも」とNational Book Storeに行く途中の、もう少し庶民的な本屋さんまで連れて行ってくれ、そこで別れた。こういう時どうしたらいいかよく分からなくて、お礼にとお金を差し出したが、受け取ってもらえなかった。その代わり電話番号(フェスティバルから支給されているので6月半ばまでと断った上で)を交換し、「よかったら見に来てね」とKARNABALの情報を伝える。

小さな本屋の品ぞろえと価格を確認してから、徒歩数分のNational Book Storeへ。日本でいったら丸善みたいな感じだろうか。店は広くてキレイだし、商品も探しやすい。もちろん品ぞろえも豊富だし、さっきの庶民的な本屋さんより安い。この構造はどこも同じですね…。

今日の目的は画用紙と、色鉛筆かカラーペンのセットを買うだけだったのだけど、かなり迷って、グレードが高くて色数も一番多い、36色入りクレヨンを選んだ。日本でもワークショップとかやる時につい百均でいろいろ買い揃えたりしてしまうが(そして日本の百均は割りとクオリティもいいのだが)、普段よりちょっといい道具があるだけで、もっと描きたくなったり、描くのが楽しくなるんじゃないか、と思った。

買い物を終えたあたりでお腹が痛くなり、隣のショッピングビルへ。2フロアに渡る巨大なH&Mがあり、タグには渋谷区宇田川の住所が書かれていた。向いはユニクロ。日本を出る前に買ってきた、涼しい・すぐ乾く・紫外線もカットする長袖パーカーがものすごく重宝している(日差しが強すぎて、着てる方が楽)ので、洗濯用の替えを追加で購入した。元の値段も割引の値段も、日本と同じだった。

洗濯屋さんに8時までに行くと約束したので、そろそろクバオを出ないといけない。ジープニーで降りたところがちょっと離れていて、しかも普段と違うルートで違う場所で降ろされたので、同じルートで帰れるのか自信がなかった。警備員に訊くと、たどたどしい英語で、フィルコーワなら『SM Fairview』と掲示があるバスに乗れと教えてくれた。

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ところがバス乗り場がすごいことになっていた。考えてみれば帰宅ラッシュの時間帯。道は渋滞しているし、来るバス来るバス乗車率200%超えじゃないかと思うほど、人を詰め込んでいる。
何とかSM Fairview行きのバスを見つけたが、絶望的に混んでいて、しかも誰も降りない。そしてこっちではジープニーもバスも乗り場で止まってくれないので、自分から走っているバスに「乗せてくれー」と近づいていかないといけない。

まわりの人たちを見てると、止まってくれないバスを走って追いかけて、スピードをゆるめたところでドアを叩いたりして乗り込んでいる。私も100mくらい追いかけて、ようやく乗務員の女性がドアを開けてくれた。

私が立っているとドアが開かないくらい混んでいるので、乗降客がいるたびに手すりにぶら下がるようにしないといけない。近くにいた男性が「ここに掴まりな」と声をかけてくれる。と思うと別の人が「こっちがいいよ」と立つ場所を交換してくれる。だんだん車内の奥に送り込まれ、目の前の席が空いたので運良く座ることができた。降りる時も、「パラ・ポ〜(止まって下さい)」と言いながら前へ行こうとすると、まわりの人が荷物を押し出してくれたりして、降りるのを手伝ってくれた。

時々、みんなテレパシーが使えるんじゃないか、と思う。ジープニーでもFXでもバスでも、ドライバーが乗る人を見つけたら止まってくれ、降りたいところで意思表示をして降りる仕組み。でも誰も、ほとんど意思表示らしい意思表示をしない。もちろん「パラ・ポ」と言ったりジープニーの天井をトントンと叩いたりすることもあるが、すごくささやかだし、「あれ?いま誰も何も言わなかったけど勝手に車止まって、人が降りていったね?」ということも多い。

逆に「あれ?私まだ何も意思表示してないのに、なんで私の前でジープ止まったの?どうして分かったの?」みたいなこともある。何も言わなくても、目を見たりしなくても、身体が向かっていこうとする方向がお互いにパッと伝わるし、伝わった瞬間にはもう動き出している。応答性がとても高い。

フィルコーワに行くと思っていたが、バスはEast Ave.を北上し、フィリピン・ハート・センターの前で降りることができた。渋滞してたはずなのにクバオから20分くらい、早い!トライシクルでMatalino通りを抜けていけば、JKの家もすぐ。絶対に間に合わないと思ったけど、洗濯屋にはほぼオンタイムで8時に着いた。

JKは夜10時にならないと帰らないので、明日のワークショップの打ち合わせをするため、プロジェクトのプレゼン資料をつくりながら待っていた。結局、帰ってきたのは11時半で、Mapagkawanggawa(マパカワンガワ)通りのイロコスというレストランで打合せが終わったのは夜中の1時近かった。JKはこれからデザイナーとポスターの打合せがあるという。タフすぎる。

帰ってから鼻をかんだら黒かった。肌を掻くと爪が黒くなるのはいつものことだが、クバオはやっぱり交通量が違うようだ。正露丸とブスコパンを飲んで寝た。

フィリピン日記 20160512

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2016年5月12日(木)

コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)が出版した絵本の原画展のオープニングレセプションに参加するため、イントラムロスにあるギャラリー、NCCAへ。一緒に行くはずだったJKは、KARNABALが立て込みすぎてキャンセル。一人ではタクシー代ももったいないので、FXという乗り合いタクシーで行くことに。

Philcoa(フィルコーワ)駅までトライシクルで20ペソ、FXでイントラムロス近辺まで30ペソ。この日に乗ったのは3列シートのバンで、3列目の座席を取り外して(?)ボックス席にして席数を増やしている。助手席には2人、二列目に4人くらい乗るので、11人乗り(運転手除く)?ジープニーもそうだが、乗車人数制限というものはないようで、汗でべとつく肌を密着させて、文字通りぎゅうぎゅう詰めで乗る。

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それでもFXは密閉されていてエアコンも効いているので、排気ガスも吸わなくていいし、とても快適だった。目の前に座っていた学生の男の子が居眠りしていて、他の人の車内電話(遠慮なし)で目を覚ました瞬間、胸の前で十字を切ってからまた眠りこけたのが印象に残った。

この時、フィリピン国内のモバイルデータ通信にもWi-FiにもつないでいないオフラインのiPhoneで、Google Mapだけは表示されることに気づいた。かなり粗々で、細かい道まではわからないのだけれど、ちゃんと現在地の青い丸も表示される。うわー!ちょっと怖い。
後で調べたら、オフラインで表示されるように、特定のエリアの地図を保存できる機能があるらしい。ただし日本では未対応。

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イントラムロスは、スペイン統治時代につくられた城塞都市。途中、警官にナンパされたりしつつ、NCCAギャラリーにほぼオンタイムで到着。スタッフの女性に尋ねると、CGNの反町眞理子さんはまだ到着していない様子。アルマ・キントさんに声をかけると、友だちみたいに歓迎してくれ、席まで案内してくれた。

オープニングでは、アルマさんがワークショップで一緒に作品をつくったコミュニティの子どもたちも出席していた。アルマさんのスピーチに続いて、マリキナ川流域に暮らす人たち、フィリピン大学キャンパス内で暮らす人たち(汚れた川で泳いでいた子たちのコミュニティ)の代表者がスピーチ。すべてタガログ語だが、隣にいたスタッフの女性が親切に通訳してくれる。フィリピン大学は彼らが住む敷地を商業利用しようとしているので、近い将来、私たちは立ち退かなかなければならない、でも別の場所に行って暮らすなんて想像もできない、という男性のスピーチには力があった。

途中で眞理子さんたちCGNが到着し、1月に一緒にコーディリエラの学校を回ったエキがスピーチ。CGNはフィリピン北方のバギオ市を拠点に、先住民族が暮らす山岳地方の環境保全に取り組んでいるNGOだ。現金収入のため畑を作りたくて森林を燃やしてしまう(政府は許可のない森林の伐採を厳しく罰している)人々のために、「お金のなる木=コーヒー」を植えようとコーヒー産業をつくって流通させたり、地域の人たちが環境問題について考え、表現する手段としてアートプログラムなども行っている。
前回のリサーチ時にりっきーやちからさんと一緒にバギオへ行った。その時、CGNのプログラムで、バギオの若い演劇人たちとチームを組んで、環境問題をテーマにした演劇をつくっている小学校(先生と生徒たち)の練習を見て回ったのだった。

眞理子さんは山岳地帯出身のフィリピン人との結婚を機に移住し、女手一つで子どもたちを育て上げたパワフルな女性。エキは自身が山岳地帯出身で、環境破壊の一因である鉱山開発を生業にしてきた家族と訣別し、CGNの職員として働いているアーティストだ。今回展示された絵本の原画も、CGNのサポートする地域の子どもたちがお年寄りに聞いてきた民話を元に、子どもたち自身がソイル・ペインティングで描いたもの。

以前、眞理子さんから、バギオの山奥に住んで紙すきをしている日本人男性・志村朝夫さんの話を聞いたことがあった。今回、影絵の素材候補として、真理子さんにお願いしてサンプルを持ってきてもらっていた。バナナの葉など現地の素材でつくられた和紙数種類を、眞理子さんのご厚意で、無料で譲っていただく。ありがたい。

眞理子さんへのおみやげは、小沢剛の戦争絵画(小沢さんはマニラでもリサーチしている。国立博物館には日本軍の残虐さを描いた絵画を集めた一室もある)の記事が載っている美術手帖と、村上隆の五百羅漢図のミニ図版。実は眞理子さん、小沢剛さんと浅からぬ縁があり、前回会った時に地蔵建立プロジェクトの話をしたのだった。先住民族の暮らす山の宿で。

オープニングでは、眞理子さんの友人で、どちらもマニラ在住歴の長い大井さん・伊藤さんを紹介していただいた。
大井さんは、ソルト・パヤタスというNPOで主に子どもたちのサポートや、女性の収入向上のためタオルや刺繍商品の開発も手がけている。パヤタスはゴミ山で知られているが、ケソンからも近い。今後は文化プログラムも取り入れたいと思って見学に来たと言う。パヤタスの人たちにも走馬灯をつくるプロジェクトに参加してもらってはどうか、KARNABAL後の展開も含めて近々JKと一緒にごはんでも!と盛り上がる。

伊藤さんは長くアジア開発銀行のマニラ本店に勤めた後、今は沖縄の地域文化とフィリピンの農業経済を研究し、フィリピン大学で教鞭も執っている。もしかしたらと思い、フィリピンの人たちがすごく“死”を怖がるようなのですが、アニミスム(精霊信仰)が関係あるのでしょうか…?と相談してみた。
伊藤さんは沖縄とフィリピンのアニミスムにはすごく共通点が多いこと、フィリピンの「タビタビ・ポ」について教えてくれた。

タビタビ・ポ(Tabi tabi po)とは、「ちょっと横を通りますよ(失礼しますよ)」という意味。樹木の精霊や、目には見えない存在のいる場所を通る時に「私もあなたの邪魔をしないから、あなたも私の邪魔をしないで下さいね(悪さをしないでね)」と断る意味がある。電車などで「タビタビ・ポ」と言うと、フィリピンの人は笑うらしい。伊藤さんは、フィリピンの人たちはお化けや精霊をすごく怖がる、それだけ信じているんだろうね、と言っていた。タビタビ・ポ、今度言ってみよう。

帰り際、JKとも親しくKARNABALについても知っているアルマさんにプロジェクトの話をし、アルマさんが(虐待や災害など難しい経験を持つ子どもたちと)ワークショップをする時にはどんなことを大事にしているか、訊いてみた。

「最初はポジティブに始めて、最後もポジティブに終わること。中盤では、もしかしたら彼らの体験や、ネガティブな部分に触れることがあるかもしれない。それでも最後がポジティブなら、心配しなくて大丈夫」

私のまわりの人たちがみんな口々に「アルマさんはすごく素敵な人」と言っていたけれど、なんというかこう、包み込むような、許すような、ずっと前からそこにいたような、柔らかい空気で受け止めてくれる人だった。たとえるなら神社とかにある大木、あんな感じの存在感。

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眞理子さん・大井さん・伊藤さん、CGNスタッフのエキ・カルラと一緒にマカティの日本料理屋に移動。バギオでのレストラン起業を考えているという投資家のコウさんが、料理の味の意見を聞く代わりにご馳走してくれるという。日本料理屋の店構えは居酒屋風で、ラーメン、枝豆、唐揚げ、とんかつ、卵焼きなどが並ぶ。どれも濃い味付けだが、全然期待していなかったので、思ったより美味しかった。

味噌ラーメンをすすろうとしていた時、隣に座っていた眞理子さんが「えっ、蜷川幸雄が死んじゃったって」と声を上げた。店内のテレビに、やせて鼻に管をつけた蜷川さんが大映しになっている。
私が蜷川幸雄を知った時にはすでに「世界のニナガワ」だったけれども、高校に入って演劇部で最初にやった作品が清水邦夫で、そのパートナーだった蜷川さんの「反体制的な演出家」という顔を知った。短く切り取られた生前のインタビューは、この人はずっとずっと、ずっと闘っていたのだ、と訴えていた。演劇をやる人間がいつも闘っているということ、それは私がもっと若い頃、これからも自分は演劇を続けるんだろうなと思った時から、針を飲み込んだように胃の内側から私をチクチクと刺してきた考えだった。

今もまだうまく言葉が出てこない。それは私が「演劇」を引き受けきれていないからなのかもしれない。11歳の頃から25年ほど演劇らしきものをやり続けてきたけれど、いつまで経ってもそれは「らしきもの」なのだった。そしてフィリピンまで来てやっぱり「らしきもの」をやっている。というか、その「らしきもの」が私をフィリピンに連れてきたのだけれど、未だに私は自分が何をやっているかと問われ、「演劇です」と言うたびにハッタリかましているような、後ろめたさから逃れられない。けれど、闘い方が変わったのだ、ということも、いつからかずっと感じている。

帰りは遅くなったので、大井さんがマカティの街角で拾ってくれたタクシーに乗って帰ってきた。乗るときドライバーから、ケソンは遠いから50ペソ追加、とふっかけられたけど、細かいお金が足りなくてもたもたしている私に、結局10ペソおまけしてくれた。怖いことや困ることよりも、優しさを返せなくて戸惑うことのほうがずっと多い。

蜷川幸雄さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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フィリピン日記 20160511

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2016年5月11日(水)

前日のFarewell Beerでビールを飲み過ぎてひどくお腹を壊し、Yukoさんの見送りには行けなかった。夕方までは階下のカフェで仕事をし、夕方涼しくなってからコインランドリーへ。Mainhawa通りに一年ほど前にできたというが、今まで気が付かなかった。フィリピン大学が近いせいか、学生らしき若い人が多い。この前ポスターで見た7.5ペソ/キロというのは最大容量の洗濯物の場合で、私が普段持ち込む量ではコスパが悪すぎた。ただし1時間程度で乾燥まで終わるし、ショップ内に超良好なWi-Fiが飛んでいるので待ちながら仕事ができる。洗濯が終わるのを待ちながら、ACAYワークショップのプログラム案をつくった。

この日は午後9時半から、LourraineがACAYについてオリエンテーションをしてくれる予定。彼女はフィリピン大学の修士課程でソーシャルワークを研究しているので、彼女の授業終了後、という約束だった。
予想はしていたことだが、直前になって「授業が押して9時半に到着できない」というメールが届く。結局、10時半にKei君、JKと一緒にACAYの家へ。

以前も書いた通り、ACAYは虐待やネグレクト、ストリートチルドレンといった環境から救出された少女たちを支援している。他にも、犯罪を犯した少年たちの社会復帰を支援するSecond Chanceというプログラムや、彼らの家族を支援するプログラム、AETA(アエタ、非差別・貧困層の先住民族)を支援するプログラムなどがある。フランスから来た修道女が立ち上げたNGOなので、フランスにも拠点がある。

私たちが注意すべきこととしては、彼女らから何か物をねだられた時は必ずソーシャルワーカーを通すこと、彼女たちが過去に経験したことには触れないこと。
彼女たちのあいだにも「一緒に暮らしている女の子同士で、過去の体験について訊いたり話したりしてはいけない」というルールが課せられている。お互いのプライバシーを守ること(話を聞いた側が外で話してしまう可能性がある)、たとえば年長の女の子が年下の女の子に偏った(誤った)アドバイスをしてしまうことを防ぐ、といった理由がある。

いま考えているワークショップ案を説明すると、Lourraineも喜んで賛成してくれた。彼女たちは仲間の前で自分の考えを話すことには慣れているか、といった質問をした後、Lourraineがこの仕事をする上で大切にしていることは何か、と訊いてみた。

彼女は照れながら、昔からこういう活動に関心を持っていたこと。マカティでバリバリ働いていた時にACAYを知り、すぐ仕事を辞めて転職したこと。その時、迷いはなかったこと。仕事のうえではただ彼女たちと一緒に幸せになろうと思っていること、を話してくれた。
余談ながら、こういう時のフィリピンの人の、照れたり謙遜したりする仕草は日本人と似ていて親しみが湧く。

ACAYの家をでる頃には午後11時を回っていた。Lourraineはまだ打合せがあり、それを済ませてから自宅に帰るという。夜型というのを抜きにしても、みんなよく働くなー…と感心する。

Lourraineからフィードバックをもらえたことで、ワークショップの方向性はだいぶ見えてきた。JKも、演劇的なアクティビティが必要なら言ってね、と言ってくれた。英語があまり得意でない女の子たちだから、アイスブレイクにはタガログを話せるJKの方がいいだろう。私が帰った後も、KARNABALやSipatとしてACAYとは関わり続けたいと言っていたので、その伏線としても悪くない。

日本でやっているプロジェクトもこのプロジェクトも、私の役割は席をつくることなのかもなと思う。ねじ込んで、席をつくって、いなくなる。空席ができるので、誰かが座る。できたら透明人間みたいでいたい。何もしない、何も役に立たない、空っぽな中心でいたい。この国にいると、そんな考えもロマンチックすぎて時々うんざりするのだけれど。

フィリピン日記 20160510

2016年5月10日(火)

一日中、JKの家の2階で仕事。気配がなさすぎて、家中の電気を消してみんなが出かけてしまい、気づいたら真っ暗な家に一人だった。

夜になってClydeやYukoさんも帰ってきて、翌日には日本に帰るYukoさんのためFarewell Beerをしようという話に。トライシクルでセブン-イレブンまでひとっ走り、サンミゲルの大瓶を4本買い込む。

帰国したばかりのEisaも交えて家飲み。途中から、それぞれの死にまつわる体験の話に。Yukoさんからは、コミュニティ・アートに長く取り組んできたフィリピン人アーティスト、Alma Quinto(アルマ・キント)さんの話を聞く。

この日は写真がないが、ゆっくり話ができて、いい晩だった。ちょっとビールを飲み過ぎた。