フィリピン日記 20160527


2016年5月27日(金)

この日は黄金町バザールで知り合ったキュレーター・平野さんから紹介してもらったConが教えるKalayaan Collegesへ。Cubaoでジープを乗り継いでBetty Go- Belmonteというふしぎな名前の駅のそばで降りると、通りの名前は「Manga Road」。

Karalayaan Collegesには普通の大学と同じようにいくつかの専攻があるが、芸術系の専攻が一番学生数が多いという。UP(フィリピン大学)のような広々したキャンパスとはまったく違い、まちなかにあるビルという感じ。AninoのTetaもここで教えているし、SipatnのNessの夫Ralphも教えていたことがある。教授・講師陣にはUPを卒業した人やUPで教えていた人が多く、それを売りにもしているらしい。

構内も予備校みたいな感じで決して広くはない。すぐにConに会えたが学生たちは授業中だったので、恐ろしくエアコンの効いたひえひえの準備室でConといろいろな話をした。彼女が最初に提案してくれたNorth Triangleの地域住民(ショッピングセンターの建設や道路の拡張で強制退去させられた人たち)と関わるには、やはりもう少し時間が必要とのこと。来年に向けて、引き続きチャンスがあれば紹介してほしいとお願いした。タブレットで写真を見せてもらいながら、以前、彼女がキュレーションした展示について聞く。North Triangleやパヤタスといった課題を抱える地域にアーティストが出かけて行き、インタビューやそこでの体験からインスパイアされた作品群のギャラリー展示だった。

そしてConがコラボした日本人の建築家・干場弓子さん(黄金町に拠点がある)と私も知り合いだったり、改めて黄金町とマニラとのつながりの強さを感じた。私が黄金町で菅原康太くんと一緒にやった『花嫁』プロジェクトも紹介した。この作品も、マニラの側から(つまり出稼ぎに来ていた女性たちの立場から)見れば、また違う展開があり得るかもしれない。実はマニラに来てからずっと、頭の片隅にあるアイディアのひとつでもある。

夕方からACAYのLourraineと翌日のワークショップの打ち合わせがあり、もうあと1時間以内に出ないといけない、みたいなタイミングでようやく学生たちに会えた。全部で5〜6人、ビジュアルアーツを学ぶLOKALというグループの子たち。有志のグループというよりは、学生全員がこうしたグループに所属することが決められているらしい。部活みたいな感じだろうか。

彼らの教室で、Macの11インチの画面でKeypointを見せながらプロジェクトについて説明。金曜日はパヤタスの人たちが参加するし、地元のミドルクラスの人たちも招待している。ぜひあなたたち若いアーティストにも参加して欲しい、なぜなら私は、アーティストは異質な者同士をつなぐことのできる存在だと思っているから、と話す。

彼らと話せたのは20分ほどだったが、その場にいた子たち全員が参加すると言ってくれた。ミゲルというお兄さん的存在の男の子だけは「ぼくはアーティストじゃないから参加しないけど、友だちに紹介するよ!」と言ってくれた。
で後日談としては、この日「参加する」と言った学生たちは結局誰も劇場に現れず、ミゲルだけが友だちを連れて見学に来てくれたのだった。

Kalayaan Collages を後にし、明日の音楽ワークショップの打ち合わせのためACAYへ。私もミュージシャンのDibaynと仕事をするのは初めてだったので納得してもらえるか心配だったが、拍子抜けするほどあっさりOK。これまで2回のワークショップの結果で、どうやら信用してもらえているらしい。

しかしここで事件が発生。ACAYの週末の予定が急遽変わってしまい、土曜は参加できず金曜に参加したいという。今回、かなり最初の時点でJKを通じて「ACAYは土曜しか参加できない」と伝えられていたので、「さまざまなコミュニティの人を混ぜる」ことをコンセプトのひとつにして、他の参加者を集めるべく駆けずり回っていた。なので他のコミュニティの多くは金曜に招待をかけていたのだ。とりあえずすぐソルト・パヤタスの大井さんに電話して日程変更が可能か聞くが、難しい、との返事。そりゃそうだ。金曜に沢山の人が集まることは対処できたとしても、土曜の公演が成立しなくなる可能性がある。とりあえずJKに電話をかけて事情を共有し、Tetaにもメッセージ。

その後はKei君も合流して、ACAYの少年少女たちがシスターたちの家に集まって行われる、Shabbat(シャバット:安息日)というユダヤ教の儀式に参加。ACAYはフランス人のシスターによって設立された組織なので、スピリチュアルな活動も多い。

場所はAlaya Heights(アラヤ・ハイツ)という超高級住宅地。セキュリティゲートをパスしないとエリア内にも立ち入れない。しかもシスターたちの家は大豪邸だった。斜面に沿って建つ4階建て+ダンスパーティが出来るほど広いルーフバルコニー。なんでもテレビ局のお偉方が住まなくなった家を、格安でACAYに賃貸しているそうだ。丘の上からケソンの街が見渡せて、つい『天国と地獄』を連想する。そして未来を思い描くワークショップで「私はお金持ちになって大きな家に住んでいる。泥棒が迷子になるように階段をたくさんつける」という話した子のことを思い出した。

シャバットは、カトリックなのにユダヤ教の儀式をするのはOKなのか…?という根本的な疑問は残るものの、とても良かった。女の子たちはめいっぱいドレスアップして集まっていて「きれい!」と言うと嬉しそうに恥ずかしそうに、くすくす笑った。夕闇の中にキャンドルだけが灯る広々したリビングに、若い女の子たちの華やかな気分が香水みたいに漂っていた。


みんなで輪になって座り、ACAYの男の子のひとりが弾くギターに合せてユダヤ語で歌う。私の隣に座ったJoyという女の子が、歌詞ノートを見せながら私がついてこれるように一生懸命教えてくれた。最後に聖餐のパンと赤ワインが回され、ひとくちずつ口にした後、みんなで「シャバット・シャローム!」と言いながらハグを交わして祝う。その後はディナー。パンも食事も、ACAYの子たちが自分たちで作るという。これがまたとっても美味しくて、特に揚げた豚肉の入った辛くないカレーは翌朝目が覚めて一番最初に「あー、昨日食べたカレー美味しかったな」と思い浮かんだくらいだった。

Joyはこれまで2〜3年間をACAYのSchool of Lifeで過ごしながら外で職業訓練を受け、もうじき卒業するらしい。だから影絵には参加できないの、と残念そうに言った。今は何のインターンをしているの?と訊くと誇らしげに「マクドナルドで働いてる」と教えてくれた。ソーシャルワーカーのLourraineが「Joyは私の英語の通訳なのよ、彼女は英語がとても上手だから」と(Lourraineはもちろん英語が話せるので冗談半分だが)言うので、「うん、Joyの英語は私にも分かりやすかった」と言うと「ほんと?!私の英語、分かりやすい?!」と目を輝かせた。フィリピンの人たちも英語は学校で習うので(もちろん生きる上で必要な言葉は暮らしながら習得するとしても)彼女たちのように小さいとき学校に行けなかった子たちは、就職して自立するために英語を身につける必要がある。

Joyをはじめもうじき卒業する子たち数人は、今度の7月にLourraineたちに引率されてポーランドへ行き、ローマ法王に会うという。もちろん初めての海外旅行だ。マクドナルドで働きながら英語を身につけ、ヨーロッパまで法王に会いに行くJoy。大冒険じゃないか。

ワークショップで女優になりたいと言ったメリーアートが「こういう時は自分たちがもっと食べたくても、お客さんに先に食べさせるのよ」と澄ました顔でおかわりをついでくれる。彼女はちょっと独特なキャラクターで面白い。お姉さん的な存在でもあるし、就学前の小さな子の面倒も見るし、場をかき乱してみんなを笑わせたりもする。今はシェフとして経験を積んでいる。

食事の後は今日ここに初めてやってきた人たちが紹介され、ひとりずつ短い挨拶をした。フランスから来たシスターの家族、ACAYを卒業し自立した男性(おそらく30代)とその奥さんと子ども、新しくSchool of Lifeに来たばかりの女の子(グレース・アン)もスピーチのために立ったが、もじもじしてなかなか話すことができず、隣の子の手を骨が折れそうな勢いでぎゅうぎゅう揉みしだいていて、みんなで笑った。私とKei君も紹介してもらい「ACAYと来週、影絵をつくります」と話して拍手をもらった。

ACAYのミッションは、家族では解決できない問題(貧困、ネグレクト、ストリートチルドレン、虐待など)に介入して子どもたちに”second chance”を与えること。最後の職員のスピーチはタガログ語だったので詳細までは分からないが、行政はこれから法律を変えてACAYのような施設を増やす(というか多分、活動しやすいよう制度的に優遇する?)方針らしい。とはいえ一部のストリートチルドレンの保護施設は監獄のような劣悪な環境で社会問題にもなっているので、ACAYのような一定以上の水準を浸透させていくために、自分たちもこれから取り組んでいかないといけない、ということだった。

フランス人の若いインターンたちと一緒にKei君の車でTeacher’s Villageまで戻り、JKの家でプレヴューを見た。パフォーマーはアメリカ人の父、フィリピン人の母を持つトランスジェンダーのダニエル。儀式(シャーマニズム)の形を取りながら、自分の中の”女神“としてビヨンセ、ディズニープリンセスやマライアキャリー、ホイットニー・ヒューストンを降臨させる、という作品。というところまで正直プレヴューではわからなかったのだけど(英語の処理能力が限界を迎えてて頭に入ってこなかった)、しゃべり中心の作品で、彼の身体自体の持つパワーを映像や音楽に預けてしまっているんじゃないか、みたいなことをボロボロの英語でコメントした。

こういう時に困るのが、相手の事情を慮ったりやんわり伝えるほどの言語能力がないので、自分の伝えたいニュアンス以上に言い方が直截になってしまうこと。フィリピン勢は肯定的な意見をいう人が多いので(その功罪もある)、自分のコメントだけ浮いてしまう。けど言うか言わないかで迷ったら、あとで訂正するとしても、やっぱり言うのがいいんじゃないか、と今は考えている。

JKの家には、昨年もオーストラリアから参加していたNikkiも来ていた。去年はオーストラリアやアメリカからのアーティストがたくさん参加していたのだけど、今年は支援がカットされた関係で彼らのほとんどが来れなかった。Nikkiは昨年フィリピンのコンテンポラリーダンサーと組んだが、コラボレーターの個人的事情で発表ができず、プロジェクトを継続するために自力で今年も戻ってきたのだった。彼女とは去年出会ってすぐ意気投合し、帰国後、彼女の関わるプロジェクトについての記事も書いたので、再会できて嬉しい。

深夜にホテルに戻って、今日、オバマが広島を訪問したというニュース報道の動画を見た。Facebook上でも、ざーっと流しただけだがたくさん投稿を見かけた。米軍と日本軍は、フィリピンで戦ってマニラの市街地を破壊し、たくさんの市民が犠牲になった。1月に天皇が訪比し、マニラの犠牲者に言及したことを知っている日本人はどのくらいいるだろう?オバマと戦災者が抱き合う映像を見た時、フィリピンの人たちはどう感じるのだろうか?その想像力を、私は日本にいながら持ち続けることができるだろうか?正直、自信がない。

ただ昨年訪れたコレヒドール島で、日本語をしゃべるフィリピン人ガイドのおじさんが、人が死ぬことを「サンタマリア、ですよ」と表現していて、独特すぎて面白かったのだけど、日本軍が初上陸を果たした史跡で当時の兵士たちが万歳する写真を見せた後、記念写真を撮ると言って私たちにバンザイさせようとしたこと(断った)、帰り際に「サンタマリア」と同じ調子で「No one wins war.」と英語で言った、それらはなんというか、自分の中で忘れてはいけないことになっている。

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