フィリピン日記 20160512

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2016年5月12日(木)

コーディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)が出版した絵本の原画展のオープニングレセプションに参加するため、イントラムロスにあるギャラリー、NCCAへ。一緒に行くはずだったJKは、KARNABALが立て込みすぎてキャンセル。一人ではタクシー代ももったいないので、FXという乗り合いタクシーで行くことに。

Philcoa(フィルコーワ)駅までトライシクルで20ペソ、FXでイントラムロス近辺まで30ペソ。この日に乗ったのは3列シートのバンで、3列目の座席を取り外して(?)ボックス席にして席数を増やしている。助手席には2人、二列目に4人くらい乗るので、11人乗り(運転手除く)?ジープニーもそうだが、乗車人数制限というものはないようで、汗でべとつく肌を密着させて、文字通りぎゅうぎゅう詰めで乗る。

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それでもFXは密閉されていてエアコンも効いているので、排気ガスも吸わなくていいし、とても快適だった。目の前に座っていた学生の男の子が居眠りしていて、他の人の車内電話(遠慮なし)で目を覚ました瞬間、胸の前で十字を切ってからまた眠りこけたのが印象に残った。

この時、フィリピン国内のモバイルデータ通信にもWi-FiにもつないでいないオフラインのiPhoneで、Google Mapだけは表示されることに気づいた。かなり粗々で、細かい道まではわからないのだけれど、ちゃんと現在地の青い丸も表示される。うわー!ちょっと怖い。
後で調べたら、オフラインで表示されるように、特定のエリアの地図を保存できる機能があるらしい。ただし日本では未対応。

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イントラムロスは、スペイン統治時代につくられた城塞都市。途中、警官にナンパされたりしつつ、NCCAギャラリーにほぼオンタイムで到着。スタッフの女性に尋ねると、CGNの反町眞理子さんはまだ到着していない様子。アルマ・キントさんに声をかけると、友だちみたいに歓迎してくれ、席まで案内してくれた。

オープニングでは、アルマさんがワークショップで一緒に作品をつくったコミュニティの子どもたちも出席していた。アルマさんのスピーチに続いて、マリキナ川流域に暮らす人たち、フィリピン大学キャンパス内で暮らす人たち(汚れた川で泳いでいた子たちのコミュニティ)の代表者がスピーチ。すべてタガログ語だが、隣にいたスタッフの女性が親切に通訳してくれる。フィリピン大学は彼らが住む敷地を商業利用しようとしているので、近い将来、私たちは立ち退かなかなければならない、でも別の場所に行って暮らすなんて想像もできない、という男性のスピーチには力があった。

途中で眞理子さんたちCGNが到着し、1月に一緒にコーディリエラの学校を回ったエキがスピーチ。CGNはフィリピン北方のバギオ市を拠点に、先住民族が暮らす山岳地方の環境保全に取り組んでいるNGOだ。現金収入のため畑を作りたくて森林を燃やしてしまう(政府は許可のない森林の伐採を厳しく罰している)人々のために、「お金のなる木=コーヒー」を植えようとコーヒー産業をつくって流通させたり、地域の人たちが環境問題について考え、表現する手段としてアートプログラムなども行っている。
前回のリサーチ時にりっきーやちからさんと一緒にバギオへ行った。その時、CGNのプログラムで、バギオの若い演劇人たちとチームを組んで、環境問題をテーマにした演劇をつくっている小学校(先生と生徒たち)の練習を見て回ったのだった。

眞理子さんは山岳地帯出身のフィリピン人との結婚を機に移住し、女手一つで子どもたちを育て上げたパワフルな女性。エキは自身が山岳地帯出身で、環境破壊の一因である鉱山開発を生業にしてきた家族と訣別し、CGNの職員として働いているアーティストだ。今回展示された絵本の原画も、CGNのサポートする地域の子どもたちがお年寄りに聞いてきた民話を元に、子どもたち自身がソイル・ペインティングで描いたもの。

以前、眞理子さんから、バギオの山奥に住んで紙すきをしている日本人男性・志村朝夫さんの話を聞いたことがあった。今回、影絵の素材候補として、真理子さんにお願いしてサンプルを持ってきてもらっていた。バナナの葉など現地の素材でつくられた和紙数種類を、眞理子さんのご厚意で、無料で譲っていただく。ありがたい。

眞理子さんへのおみやげは、小沢剛の戦争絵画(小沢さんはマニラでもリサーチしている。国立博物館には日本軍の残虐さを描いた絵画を集めた一室もある)の記事が載っている美術手帖と、村上隆の五百羅漢図のミニ図版。実は眞理子さん、小沢剛さんと浅からぬ縁があり、前回会った時に地蔵建立プロジェクトの話をしたのだった。先住民族の暮らす山の宿で。

オープニングでは、眞理子さんの友人で、どちらもマニラ在住歴の長い大井さん・伊藤さんを紹介していただいた。
大井さんは、ソルト・パヤタスというNPOで主に子どもたちのサポートや、女性の収入向上のためタオルや刺繍商品の開発も手がけている。パヤタスはゴミ山で知られているが、ケソンからも近い。今後は文化プログラムも取り入れたいと思って見学に来たと言う。パヤタスの人たちにも走馬灯をつくるプロジェクトに参加してもらってはどうか、KARNABAL後の展開も含めて近々JKと一緒にごはんでも!と盛り上がる。

伊藤さんは長くアジア開発銀行のマニラ本店に勤めた後、今は沖縄の地域文化とフィリピンの農業経済を研究し、フィリピン大学で教鞭も執っている。もしかしたらと思い、フィリピンの人たちがすごく“死”を怖がるようなのですが、アニミスム(精霊信仰)が関係あるのでしょうか…?と相談してみた。
伊藤さんは沖縄とフィリピンのアニミスムにはすごく共通点が多いこと、フィリピンの「タビタビ・ポ」について教えてくれた。

タビタビ・ポ(Tabi tabi po)とは、「ちょっと横を通りますよ(失礼しますよ)」という意味。樹木の精霊や、目には見えない存在のいる場所を通る時に「私もあなたの邪魔をしないから、あなたも私の邪魔をしないで下さいね(悪さをしないでね)」と断る意味がある。電車などで「タビタビ・ポ」と言うと、フィリピンの人は笑うらしい。伊藤さんは、フィリピンの人たちはお化けや精霊をすごく怖がる、それだけ信じているんだろうね、と言っていた。タビタビ・ポ、今度言ってみよう。

帰り際、JKとも親しくKARNABALについても知っているアルマさんにプロジェクトの話をし、アルマさんが(虐待や災害など難しい経験を持つ子どもたちと)ワークショップをする時にはどんなことを大事にしているか、訊いてみた。

「最初はポジティブに始めて、最後もポジティブに終わること。中盤では、もしかしたら彼らの体験や、ネガティブな部分に触れることがあるかもしれない。それでも最後がポジティブなら、心配しなくて大丈夫」

私のまわりの人たちがみんな口々に「アルマさんはすごく素敵な人」と言っていたけれど、なんというかこう、包み込むような、許すような、ずっと前からそこにいたような、柔らかい空気で受け止めてくれる人だった。たとえるなら神社とかにある大木、あんな感じの存在感。

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眞理子さん・大井さん・伊藤さん、CGNスタッフのエキ・カルラと一緒にマカティの日本料理屋に移動。バギオでのレストラン起業を考えているという投資家のコウさんが、料理の味の意見を聞く代わりにご馳走してくれるという。日本料理屋の店構えは居酒屋風で、ラーメン、枝豆、唐揚げ、とんかつ、卵焼きなどが並ぶ。どれも濃い味付けだが、全然期待していなかったので、思ったより美味しかった。

味噌ラーメンをすすろうとしていた時、隣に座っていた眞理子さんが「えっ、蜷川幸雄が死んじゃったって」と声を上げた。店内のテレビに、やせて鼻に管をつけた蜷川さんが大映しになっている。
私が蜷川幸雄を知った時にはすでに「世界のニナガワ」だったけれども、高校に入って演劇部で最初にやった作品が清水邦夫で、そのパートナーだった蜷川さんの「反体制的な演出家」という顔を知った。短く切り取られた生前のインタビューは、この人はずっとずっと、ずっと闘っていたのだ、と訴えていた。演劇をやる人間がいつも闘っているということ、それは私がもっと若い頃、これからも自分は演劇を続けるんだろうなと思った時から、針を飲み込んだように胃の内側から私をチクチクと刺してきた考えだった。

今もまだうまく言葉が出てこない。それは私が「演劇」を引き受けきれていないからなのかもしれない。11歳の頃から25年ほど演劇らしきものをやり続けてきたけれど、いつまで経ってもそれは「らしきもの」なのだった。そしてフィリピンまで来てやっぱり「らしきもの」をやっている。というか、その「らしきもの」が私をフィリピンに連れてきたのだけれど、未だに私は自分が何をやっているかと問われ、「演劇です」と言うたびにハッタリかましているような、後ろめたさから逃れられない。けれど、闘い方が変わったのだ、ということも、いつからかずっと感じている。

帰りは遅くなったので、大井さんがマカティの街角で拾ってくれたタクシーに乗って帰ってきた。乗るときドライバーから、ケソンは遠いから50ペソ追加、とふっかけられたけど、細かいお金が足りなくてもたもたしている私に、結局10ペソおまけしてくれた。怖いことや困ることよりも、優しさを返せなくて戸惑うことのほうがずっと多い。

蜷川幸雄さんのご冥福を心からお祈りいたします。

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