フィリピン日記 20160508

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2016年5月8日(日)

昨日の今日で、さっそくAninoのTetaとミーティングができることに。JKとYukoさんはサンデーマーケットへ出かけるというが、午後2時の打合せまでプランを練り直すため、我慢。
というか、体もなんだか限界なのだった。熱中症が止まらない。午前中は野口整体の運動とストレッチをして、少し早めに待ち合わせ場所になっているMaginhawa通りのTHEO’Sへ向かった。

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事前に完成させて劇場へ持ち込むのではなく、当日集まった参加者たちと一緒にワークショップで一気につくり上げていく、即興性の高い作品。昨年、Sipatの上演したGobyernoにインスパイアされたつくり方だ。フィリピンと日本(本牧)両方で体験してみて、ここフィリピンでならいけるかもしれない、とは思った。

まず大枠として、大きなnarrative(物語)をつくっておき、そのうえで個々の参加者がワークショップでつくる小さなnarrativeを自由に語れるような、入れ子構造を考えた。一週間後に予定されているACAYでのワークショップには、私だけで(Anino抜きで)行かないといけない。そこで影絵のつくり方を習う前に、女の子たちが走馬灯というアイディアについて考えたり話し合ったりする時間に充てる。

“死”を迂回するため、彼女たちとは「死ぬ直前に何を見たいか」ではなく、「未来につくり出したい瞬間」についてディスカッションし、様子を見ながら徐々に「走馬灯」に変換していく、というプロセスを考えた。その過程で私も、「死」についてどうフィリピンの人たちとコミュニケーションするか/しないか、ヒントが見つかるかもしれない。

もうひとつ、私自身にとって大事なことは、影絵を演じる人々そのもの(Aninoがいつも上演後にやっているBehind the screen)を作品の中で見せること。

彼女たちのつくる影絵が「未来」のイメージだとしたら、彼女たち自身の姿は「現在」に見えるかもしれない。ただ、本番の影絵で「現在→未来」という流れを走馬灯として見せると、その次には「死」が来てしまう(観客も演者も連想してしまう)。
“死“を巡るハードルの高さを考えると、あまりにも直接的だし、混乱や拒絶が予想される。というか、やる前に予想する人たちに阻止されそう。最終的にはできるかもしれないけど、少なくとも今はこのチョイスは選べない。どうしたものか。

たまたま隣の席で、夫婦と姉妹の四人家族が食事をしていた。追加オーダーしたデザートにからめたジョークだったのか、十代らしい年長の娘がふいに「ハッピーバースデイ、ママ、ハッピーバースデイ、ママ」と口ずさんだ。
その彼女の歌声が、妙に胸に刺さった。唐突だったからかもしれないし、今日が母の日だったからかもしれない。なんだか、まだ生まれていない彼女が時空を超えて、まだ赤ん坊の母親をお祝いしているみたいに聞こえた。

それで「現在→未来→死」へと向かっていくのではなく「未来→現在→生まれる前(胎内)」に向かっていく時間の流れを、大きなnarrativeとして仮に置いてみた。ちょっとベタすぎるが、話を進めていくために、とりあえずこれで打合せにのぞむ。

ちなみに、「死と生がつながって円環になっている(もしくはエンドレスで続く)」という感覚は、フィリピンでは説明すれば理解してもらえるが、浸透はしていない感じ。ただ「フィリピンでは、死ぬ瞬間にはただただ、強い光が見える。光だけになる、と思われている」と聞いたことがあったので、最後は影絵がなくなって光だけになるのもいいかも、と思った。生まれる直前のイメージとして。

Tetaも時間より早く到着し、続いてオンタイムでJKが合流。まずは、ここまでに考えた新しいプランを説明する。汗をかきかきJKやTetaに説明しながら、「なぜ時間をさかのぼるのか」の理由を探しているうちに、「走馬灯はフラッシュバック(死の瞬間からそれまでを振り返る行為)だから」という、当たり前のことに思い至る。

Tetaからは円形のスクリーンは実現が難しそうとの話があり、回転灯篭に近い形を目指して舞台美術の形状、紙の素材や、再来週の影絵のワークショップのことなどを打合せた。

ようやく話が具体的になってきた。

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続いて午後4時からは、ACAYでの打合せ。ソーシャルワーカーのLourraineに加え、彼女の上司であるMarlouも同席。JKが、焦点は“死”ではなく“死の直前に見る人生=未来”なのだ、と説明。そのおかげで「死について言及してはいけない」という前提はいったん保留されたようなムードに。

女の子たちに聞いてはいけないことはあるか?という質問に返ってきたのは、「なぜここ(施設)に来たか、は聞かないで」というシンプルな答えだった。「では、たとえば、母親について話すことは大丈夫か?」と質問したことで、私たちが人並みの想像力を持ち合わせていることが伝わったようだ。最初は警戒していたMarlouの表情がやわらぎ、最終的には「私たち職員も立ち会って、まずいことが起きたら引き取るから大丈夫」と言ってくれた。

こちらからはのリクエストとして、個人情報を特定する必要はないが、彼女たちがどんな経験をしてきているのか(つまり本人に訊いてはいけないこと)を事前に共有させて欲しい、と頼んだ。Lourraineが別日でオリエンテーションをしてくれることに。

重要な2つの打合せが終わり、Yukoさんと合流してUPまで散歩することに。広大なキャンパス内にはたくさんの人が暮らし(スクォッターと聞いていたが、後日、彼らの一部は大学ができる以前からこの地域に暮らしていた人たちだと知る)、ゴミだらけの川では子どもたちが泳いでいる。キャンパス内だけの電車も走っているが、駅は打ち捨てられた遊園地のようだった(技術的な研究も兼ねているらしい、JK談)。

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日曜日のキャンパスは一般公開され、ジープニーの立ち入りも禁止されて、人気のジョギングコースになっている。写真は、4月に火事で燃えてしまった教員棟。生徒たちの評価だけでなく、過去の研究資料など貴重なものもずいぶん燃えてしまったらしい。

新月直後の細い細い月が出る頃には、疲れ果てて歩けなくなってしまった。フィリピンに来て、こんなに体が参ってしまったのは初めてだ。2週間くらいなら体を壊そうがきつかろうがエイヤで乗りきれたけれど、今回はそうもいかないから、たぶんこれも必要なプロセスなのだ、と自分に言い聞かせる。

Jkがテレビ局で仕事をしている子供向け教育番組の話など聞きながら、タクシーでMalingap 通りまで帰った。PINOというビーガン向けの料理も出すレストランで飲んだ、レモングラス&ジンジャー&キューカンバーのジュースがくたくたの体に染みた。

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