フィリピン日記 20160528

2016年5月28日(金)

この日はACAYで音楽ワークショップ。JKの家で待っていると、先日Catch272で紹介されたDibaynがギターを背負ってやってきた。Keiくんは渋滞で遅れるというので、とりあえず二人でACAYへ向かう。 続きを読む フィリピン日記 20160528

フィリピン日記 20160527


2016年5月27日(金)

この日は黄金町バザールで知り合ったキュレーター・平野さんから紹介してもらったConが教えるKalayaan Collegesへ。Cubaoでジープを乗り継いでBetty Go- Belmonteというふしぎな名前の駅のそばで降りると、通りの名前は「Manga Road」。 続きを読む フィリピン日記 20160527

フィリピン日記 20160525

2016年5月25日(水)

日記がぜんぜん短くならない。

午前9時にして無事ビザの延長が終わり、すがすがしい気持ちで少し周囲を散策。ガレオン貿易400年の記念碑が建つパッシグ川のほとりで物思いにふけろうかと思ったが、においが強くてやめた。イミグレ前のスターバックス店舗はスペイン統治時代の城壁の一部を利用したリノベーション(数百年ものだけど…!)、ちらっと見学。

せっかくイントラムロスまで来たので、ジープニーを乗り換えるついでにキアポ教会に立ち寄る。すごい人なので何事かと思ったら、ミサだった。司祭が聖水を振りかけるために壇上から降りてくると、みんな両手を挙げて群がる。私にも聖水は降りかかった。神の恵み。

キアポ教会のまわりには、黒魔術の道具を売っている店があるとフィリピンの友人たちから聞いていた。パラソルの下でろうそくや薬草を売ってる人たちに「黒魔術の店はどこ?」と聞いて歩いているうちに、ようやくその人たちのことだったと気づく。民間療法の薬草やお守りに加えて、惚れ薬なんかもあるらしい。私が日本人だというので、呼ばれて奥から出てきたのは日本語をしゃべる陽気なお姉ちゃん。港区在住の日本人と「カミだけのケッコン」をしているそうだ。埼玉のブロードウェイという店で働いてたの、来月も日本に行くの、と。この店は彼女の姉、姉の夫、兄弟と家族ぐるみの経営。家族って何でしょうね…と思ったり思わなかったり。
自分の乗っている車椅子をそのまま露天にしているお爺さん、折りたたみ傘をパラソルのように取り付けて、モバイル屋台になっていた。かっこいい。

教会の裏手には火葬された人たちの遺骨を収めたお墓もあった(フィリピンでは通常は土葬)。長い行列が出来ていたので、何かと尋ねると、ブラック・ナザレに祈りを捧げるために並んでいるという。

「ブラック・ナザレ」はスペイン統治時代の17世紀にメキシコからの持ち込まれたもの。肌が黒い理由には諸説あるが、第二次世界大戦で焼け尽くされたキアポでも、ブラック・ナザレは無傷だった、といわれている。

教会の構内にはレプリカがかけられ色々な人が足をさすったりハンカチで拭ったりして祈っているが、この行列の先では祭壇にかけられた本尊(でいいのかな)に触れることができるらしい。あなたも並ぶといいよ、とすすめられるまま、炎天下の列に交じる。いくつかの曲がり角、細い螺旋階段を抜けた先は実際に祭壇にかけられたキリスト像の背後につながっていて、足の裏の部分だけ小さな窓があいていた。すぐ向こうでマイク越しに司祭の声が鳴り響いている。小さな窓から手を差し入れ、キリストの足に触れて祈った。

日が高くなってきたので、フィルコーワまでFXに乗る。冷房が効いてて快適すぎて眠くなる。フィルコーワでジープニーに乗り換え、UPキャンパスにあるヴァルガス美術館へ。主な目的は戦争絵画と日本軍のプロパガンダ資料だが、今やっている現代美術の展覧会にも興味があった。

ヴァルガス氏は戦争下のマニラで日本軍に協力し、戦後は恩赦を受けるまで巣鴨に収監されていたそうだ。ヴァルガス美術館のコレクションを集めるのに尽力したAurelio Alveroも、戦中のフィリピンで親日的な詩を書いたり日本語教育を推進する本を出したりして、日本の新聞で紹介されたりしていたらしい。
戦火で破壊しつくされたキアポのモチーフは、1月に国立博物館でも見た。あの日はちょうど天皇皇后両陛下が来比していて、隣のリサール公園で祝典が開かれていた。

戦前のナボタスやバギオ、農家の暮らしを描いたものも多かった。市井の闘鶏や洗濯の風景、クリスマスの灯りなどは、今ケソンで見かける風景とあまり変わらないかもしれない。

3階の展示は戦中、日本軍との関係が深かったヴァルガス氏の一家をモチーフに、当時の写真から素材をとったコラージュ作品。1階の「Colurum」という現代作家のグループ展には、2階の絵をモチーフにした作品も。個人的にはJohanna Helmuthの “Uncomfortably Settled” という作品が好きだった。



Teacher’s Villageまで戻って昼食と洗濯を済ませたらさすがにくたくたで、夕方まで昼寝。夜にKARNABAL参加作品のプレビューがあったが、外はざんざん降り。カフェで仕事をして、早めに休んだ。雨季が近づいている。

フィリピン日記 20160525・イミグレ編

2016年5月25日(水)午前

今日はビザの延長申請のため、朝5時半に起きてイントラムロスの入国管理局へ。イミグレーションの対応は最悪、とにかく朝早く行けとりっきーからアドバイスをもらっていた。電車もジープニーもラッシュアワーの混雑を考えると乗れなかった時のリスクが高いので、タクシーで行くことに。渋滞なしなら車で30分の距離だが、朝の渋滞は本当にひどいので、開館2時間前に出発することにした。
サンダル、短パンは中に入れてもらえないらしいので、スニーカーで出発。

24時間そこらじゅうタクシーが走っているマニラだが、この時間にイントラムロスまで行ってくれと言ったら、遠すぎると乗車拒否されるかもしれない。なのでGrab Taxiを使ってみた。

Uberは個人タクシー(高級車が多くサービスも丁寧)、Grabは登録されている一般タクシーを配車するシステム。クレジットカードも登録しておいたが、この日は何故かキャッシュ指定しかできなかった。

行き先、支払い方法、出発時刻を指定して検索。1分ほどでドライバーの顔写真と名前、ナンバー、到着は3分後と表示された。通りに立って待っていると、時間通り、ににこやかな笑顔で登場。

6時台前半はまだ渋滞していなかった。かなりスムーズに進んだが、キアポあたりに差し掛かった頃になるとさすがに混み始め、ドライバーが裏道を使ってショートカット。

6:10に出発、6:50に到着。配車の手数料40ペソを加えて241ペソ。250ペソ出すと、10ペソおつりが返ってきた。1ペソ戻すと「thank you, mam」と丁重な対応。ちょっと感動。

街中でタクシーを拾うと無視されたり乗車拒否されたり、小銭がないからとおつりをくれなかったりすることもままある。それでも昨年来た時に比べて、何も言わなくてもメーターをつける運転手が多くなった気がする(前は、言ってもつけない人もいたのに!)。以前よりタクシーに乗る回数が減っているので比較できないが、今回の滞在中では100%こちらが言う前にメーターをつけていた。

それはGrabやUberの浸透によって競争が激しくなって、普通のタクシーでもサービス向上しないと生き残れないからかもしれないし、ひょっとしたら「犯罪者は皆殺し」と言ってはばからないドゥテルテが政権を取ったことも影響しているのかな、とふと思う(彼が市長をつとめたダバオ市でも、タクシードライバーのマナーが劇的に向上したらしい)。

※以下、2016年5月時点での情報です。申請の際はご自身で最新情報を調べてください。ちなみに2017年5月に同手続を行ったところ、何点か変更点がありましたが、入国管理局サイトでは最新情報を確認できませんでした。異なった点は「開館前の待機は建物外で行列」「写真は提出不要」「合計金額が2,130ペソ」「待ち時間は3時間〜3時間半」「待ち時間に外に出てスターバックスに行けた」等。午前7時半頃に現地到着し、正午前には手続きが完了しました。

8時の開館よりだいぶ早く着いたので、建物前のスターバックスでコーヒー飲もうかなと思ったが、エントランスはすでに開いていて、たくさんの人がInformation Deskの前で座って待っていた。7時ちょうどにスタッフが現れ、待っていた人たちがいっせいに行列をつくる。とはいえ数十人なので、さほど切迫したムードはない。私はたまたま前の方に座っていたので、5番目くらいに受付してもらえた。

フィリピンでは申請不要の観光ビザで30日間まで滞在できるが、それを超える場合は59日間まで「ビザ免除」という申請で延長できる。60日以上になるとステイタスを決めなければならない。このビザ免除、日本で出国前に手続きすれば無料だが、身元保証人の書類や残高証明、フィリピンからの招待状などが必要で、発行まで5〜7日間かかる。フィリピン国内で延長する場合、書類はシンプルだが私のケースなら3030ペソ(当日発給のExpress Fee1000ペソは自動的に加算。申し出れば断れるらしい)。

【必要書類】
・申請書(入国管理局サイトでダウンロード可能だが、当日その場でもらえる)
・パスポート
・パスポートのコピー(顔写真のページ、最終入国日が分かるページ)
・2×2センチの証明写真(街の写真屋で60ペソだった)

マカティなど支局だとパスポートのコピーは要らないという情報もあるが、イントラムロスの本局は必要。ただしコピーと証明写真は現地でも取れる。

この人、ニュースで見たことあるな…。私は念のため必要書類を先に用意してきたが、申請書の書式が違ったらしく、書き直し。でも同じ内容を写すだけなので楽。流れが分からず何度か間違った窓口に行ってしまったが、女性の職員が「あっちで番号もらってね〜」と笑顔で教えてくれた。開館前だから余裕があるのか、対応も丁寧。

申請書記入にあたっては、フィリピン国内の滞在先住所、国内で連絡がつく電話番号が必要なので、メモしておくといい。その他は特に困ることはない。

Information Deskに必要書類を提出すると、受付番号をくれる。カウンターは窓口ナンバーごとに「assessment」「cashier」「releasing」に割り振られていて、柱の張り紙で分かる。5分ほどで番号が呼ばれcertificationとレシートを受け取る。ブラックリストとかに載ってないことを確認しました、と書かれている。

レシートを持ってcashierに行き、3030ペソ支払うと「1時間後に33番カウンターで受け取ってください」と書いてある紙をくれた。え、これは本当に1時間後なのかなあ、実は5時間とかかかるんじゃないのかなあ…と紙を見つめて佇んでいると、そばにいた人が「それ持ってあっちに行くんだよ。1時間後」と教えてくれる。

コーヒーが飲みたくて、入口のボディーチェック係に「外出してもいい?パスポート提出しちゃったんだけど」と訊くと、OK。指定されたドアから出てみると柵で囲われた敷地にカフェがあって、要はエキナカみたいに退出しなくても飲食できる仕組み。スタバには行けない。

ここはデリもあり、職員も食事をしていた。おかず2種類+ライスで55ペソ、アメリカンコーヒーが55ペソ。ちょっとしょっぱいが(というかフィリピンの味付けは全体に濃い)おいしかった。食事をしてこの日記書いて、8時半。

館内に戻ると、さすがにだいぶ人が増えていた。受け取りカウンターで「ただ待ってればいいの?」と訊くと、中のお兄ちゃんが朝食をもぐもぐしながら「あとで名前呼ぶから待ってて」と言う。その合間にも来た人の対応はしてるので、仕事中ではあるらしい。

5分ほど待って呼びだされて行くと「写真より美人だね!」と軽口から始まり、どのくらい滞在しているのか、何のために来たのかなど聞かれる。手続きのための確認ではなく、ただのお喋り。こんな呑気だから時間かかるんだな。この時点で9時、手続き完了。

記録用に館内の写真を撮っていると、職員に「撮影禁止ですよ」と言われた。写真をチェックされ、ほとんど消去。でも強い口調ではなく「セキュリティのためだから、すみません」と笑顔で去っていった。

今回、職員の対応で一度も嫌な思いはしなかった。おそらく時間帯が早く、彼らに余裕があったのが一番の理由。りっきーに言われた通り、先手必勝。ただし説明は最低限で繰り返し教えてはくれないので、英語が得意でなければ事前にめっちゃリサーチするか、誰かについて来てもらうといいかも。
あと正直いって、女性に優しい国だと感じることが多い。特に男性は、年齢を問わず女性に親切。もちろん女性であることで、結構でかいリスクも負うのだけれど。

私は本当に何も知らなかったので、日本人が書いた記事をネットで読み漁ったが、私の場合は特にこのサイトが参考になった。この記事も少しは誰かの役に立ちますように。

フィリピン日記 20160524


2016年5月24日(火)

朝8時から、UP Village’s Barangay Hallで待ち合わせ。昨年のKARNABALで会ったJosephのお父さん、Mr. Ferrerはこの地域(バランガイ)の首長をしていて、会わせてもらう約束。行き違いで10時近くに現れたJosephは「ほんっとうにごめんなさい!!」と言って深々と頭を下げた。私としてはバランガイホールに初めて入ったので、職員のオフィスで待っている時間も楽しかった。

ちなみにJoseph自身はマジシャンで、アテネオ大学でTEDexにも出演している。今は演劇をマジックに取り入れるべく、演劇学校のオーディションを受けて結果待ちのところらしい。すごく感じのいい礼儀正しい子。

Mr. Ferrerはいかにも忙しくて有能で自身に満ち溢れた人、という印象。彼らは何代も前からこのバランガイに住んでいて、Mr. Ferrerのお父さんも地元の名士。私の説明も途中でどんどん遮って「で、テーマは何?」「どんなタイプの人を呼びたいの?」と話を先に進めようとする。でも高圧的ではないあたり、育ちの良さを感じる。

今の参加者たちは10代〜20代が多い。違う世代の人とも会えた方が面白い体験になるんじゃないか、特に走馬灯というテーマは年齢によって受け取り方が違うだろうから、高齢者を呼べないかと思っていた。Mr. Ferreが言うには、週末に来れそうなのは高齢者か低所得者層。この地域のマジョリティは中産階級なのだが、彼らは週末は出かけてしまうか、家にこもってスマホをいじってるから、という理由。あ、是非それで、特にお年寄りに来てもらいたいですと伝えると、じゃ、あとはJosephよろしく、と言い残して颯爽と公務に戻っていった。

その後、Josephと改めて当日の流れ、人数について打ち合わせ。Josephが、お父さんはこの企画に前向きだと思う、普段から家にこもってばかりいる住民を外に引っ張り出したいと思ってるから、と話していたのが印象的だった。JKも、ここでは自分は完全に都市生活者、隣に誰が住んでるかも知らない、と話していた。日本のような“監獄マンション”(同じ向きにずらっと同じ間取りの部屋が並んでいる牢屋スタイルから)じゃなくても、同じようなことは起きている。

明日はビザの更新のためイミグレーションへ行かなければいけない。えらい時間がかかる上にストレスフル、とりっきーから聞いていたので、必要書類を事前に準備するため、Matalino通りへ。FUJI FILMの店で撮ってもらった証明写真を見て、あっこの人ニュースで見たことあると思った。もしも私が事件に巻き込まれたら、この写真が使われるのかなあ。申請書の印刷とパスポートのコピーを取りに行ったプリントショップは狭い2階にパソコンが並んでいて、男たちの汗と熱気でムンムン。できたらもう行きたくない。

昼食は、Matalino近くのMatatag(マタタッグ)通りにあるシーボルへ。以前のJKの家が近かったのでお気に入りだったのだが、今回は足が遠のいていた。ここはオーガニック野菜のおいしい定食が100ペソ以内(だいたい75ペソくらい)で食べられる。レモングラスティーもおいしい。愛想のない店員のお姉ちゃん、パソコンでトランプゲームしてるやる気なさそうなオーナー、店の前にずっと座ってる鶏をいっぱい飼ってるおじいちゃんも変わらず。また来ます。

フィリピン日記 20160523

2016年5月23日(月)

朝、ふと思い立って、パヤタスからの帰りのジープで友だちになったノルヴィックに「6月3日と4日に影絵のパフォーマンスがあるんだけど、参加してみない?」とメッセージを送ってみた。演劇に関心を持つようなタイプには見えない。引かれてしまうのでは、と思ったが、返事は予想外の「I will join」だった。仕事のスケジュール次第だけど、参加できるようにベストを尽くす、という。金曜にはパヤタスの女性たち、土曜は16〜20歳の若い子たちがいる、好きな方でいいけど金曜のほうが気が楽かも、と伝えた。「どちらの日もいいと思う。招待してくれてありがとう」とけなげな返事。

前向きな返事をもらってから、ちょっと不安になった。彼は楽しんでくれるだろうか?気まずい思いをしないだろうか?当日参加してくれるアーティストやシパットのメンバーに、ケアをしてくれるよう頼もうかとも思った。でも、たぶんちゃんと紹介するだけで大丈夫だ、と思い直した。楽しむかどうかは彼が決めることだ。

午後1時から、平野さんが紹介してくれたConさんと初めて会う約束があったので、ジープを乗り継いでフィリピン大学(UP)へ。少し早く着いたのでVargas Museumに寄ろうと思ったら月曜閉館。徒歩でSunken Gardenに面したBulwagan ng Dangal Museumへ。

Conさんは、Kalayaan College(カラヤアン大学)でビジュアルアートを教えている。AninoのTetaとは同僚になる。黄金町はじめ日本の美術館を2週間くらいかけて視察したこともあるそうだ。劇場には誰か連れて行ってくれた?と尋ねると、残念ながら劇場にはひとつも行かなかった、という。

コンセプトと、いま呼びたいと考えているコミュニティについて説明。彼女からはメッセージで提案されていたNorth Triangleよりむしろ、彼女の教え子たちを誘ってはどうか、という意見をもらった。「フィリピンでは、パフォーミング・アーツは「芸術」というジャンルから外されている。ビジュアルアートを学んでいる学生にとって、KARNABALやこういうプロジェクトに参加することは有意義だと思う」との意見。パフォーミング・アーツは〜のくだり、日本の状況もほぼ同じだと思う(だいぶ変化してはいるが)。今週金曜にゼミがあるというので、学生たちに会いに行くことにした。

North Triangleについてはもう少し込み入った、私にとって大事な議論があった。彼女から「どんな種類のコミュニティを呼びたいの?」と訊かれ、即答できなかった。意図したことではないが、現状は、ある意味で分かりやすく社会課題を象徴するようなコミュニティばかりが参加している。もっと普通の人たちこそ彼らとミックスさせるべきじゃないのかと考えているけど、でもなかなか彼らにアプローチが届かない。でもNorth Triangleにはとても興味がある、と伝えると、彼女はキーパーソンにコンタクトを取ってみると約束してくれた。

パヤタスもNorth Triangleも、マニラの急速な都市開発の中で居場所を奪われた人たち。スラムといわれるような劣悪な環境でも、彼らはそこから離れたくなくて、闘った。それは多分、コミュニティがあるから。私は正直、コミュニティという言葉がそんなに好きではないけど、人は生きていく場所を選べるべきだと思っている。逆説的に聞こえるけれど、ひとりひとりが自由に生きていくためには、コミュニティに関するエンジニアリング(工学)がもっと必要だと思う。山崎亮さんの「コミュニティデザイン」はそこにはテクノロジーがあるのだ、ということをたくさんの人に紹介したし、けど解答が一つしか用意されていないように見えたのが、問題といえば問題だったのかもしれない。

もうひとつ、「死」をめぐる語りづらさについても彼女に聞いてみた。Conは、North Triangleの人たちは、自分たち一人ひとりではなくてコミュニティの死を連想するかもね、と意見をくれた。コミュニティの死。

せっかくUPまで来たので、少し散歩をしながら考えてみることにした。歩いているうちにお腹が空いてきたので、記憶をたよりにこの前JKとYukoさんと一緒に歩いた道を辿り、The Chocolate Kiss Cafeへ。去年のフェスティバルでGobyernoが上演された時に、国際交流基金の桶田さんやちからさん・りっきーたちと一緒に来たレストラン。店の雰囲気もお客さんも落ち着いた感じ。いろいろな国の料理があって、チキンライスを食べた。ちょっと贅沢した。


キャンパスを歩きながら、ああゆとりがあるなあ、と思った。街中では感じられない余裕と自由な空気。行き過ぎればモラトリアムかもしれないけど、学ぶ場というのは、許されている時間と空間なのだ。それはとても恵まれたことで、そんな時間を持つこともなく日々食べるもののために働くしか選択肢がない人もたくさんいる。すぐそこにいる。パヤタスの女性たちは日々余裕があるわけじゃないのに、なぜ参加したいと言ってくれたのだろうか?影絵の体験を持ち帰って、子どもたちに教えたいと言っていたけど、それにどんな価値があると、彼女たちは思っているのだろうか?

たとえノルヴィックが来てくれても、この経験は意味不明かもしれないし、不愉快な思いをする可能性だってある。でもその数時間が彼や彼女らの人生に少しだけ傷をつけて、それが数年後や数十年後に彼らの人生を変えるかもしれない。それはちっとも善ではないし、私が彼らのような語られやすい背景を持った人を舞台の上に乗せることは趣味の悪いポルノグラフィかもしれない。だけど、この大学のキャンパスに流れているような、許されている時間と空間。そんな場を彼ら彼女らのために用意したい、と思った。それは、とてもとても貴重なものなのだ、多分。

眠っている猫にそっと近づいて写真を撮ろうとしたら、ぱっと起きたので逃げるかと思ったら、こちらが後ずさりする勢いでぐいぐい近づきながら、にゃーにゃー何かを必死で訴えてきた。道端で何度も手を差し出してくる子どもたちの姿が重なる。多く持つ人は、持たない人に与える。それがごく自然な振る舞いとして期待され行われることは、もちろん弊害もあるけれども、ある種の豊かさではないだろうか?彼らは自分の命とつながった血肉のような共同体を持っている。そこから離れたら生きていけない。だから命を張って闘える。

JKに聞きたいことが出てきたので、アポを取ると午後9時なら時間がとれると言う。前の打合せが終わらず10時近くなったが「あなたたちの社会にとって、コミュニティとは何か」「あなたたちの社会において、コミュニティの課題とは何だと思うか」「KARNABALは今後、どんなコミュニティに働きかけていきたいと考えているのか」と質問した。

SOMATOが彼らに対してどんな価値を持ち得るのかについては、UPのキャンパスで感じたことと、ほとんど同じような答えが帰ってきた。家を無くすことより、家を無くしても「まあいいや」と思うことや、自分の親も貧しかったから自分が貧しいのは仕方ないと諦めることの方がずっと悪い。誰でもACAYの女の子や男の子たちのようにチャンスを掴むことができれば、自分自身の人生を変えられる。なのに諦めてしまう人たちが多い。彼らは日々生きていくことに必死で、自分が本当に何をしたいか、どんな風に生きたいかを考えるような時間はない。SOMATOはそういう時間を提供できる。それが彼らの人生を変える、ということをぼくたちは科学では証明できない。でも変える力があると知っている。

こういう物言いや情熱が通用するのは、フィリピン社会の特に都市部であって、日本はまったく状況が違う。だからこの勢いで私が日本に帰ると、だいぶイタいことになってしまうのかもしれない。でもときどきフィリピンで、日本の未来をさかさまに見ているような気持ちになることがある。

とにかくJKのエネルギーにはいつも圧倒されて、すごすぎて笑ってしまう。しかもこれからPHSAの教え子たちを連れてバギオ(バスで5〜6時間)にアートキャンプに出かけると言いながら、ジョリビーをむさぼっている。その最中もずっと、夏希の「ギブ・ミー・チョコレート!」というプロジェクトがあってねとか、ぼくの韓国の友だちがこんなパフォーマンスをやっててとか、際限なくずっと、パフォーミング・アーツの話をしている。

そして今年再演されるSipatのプロジェクト『Gobyerno』、急遽、政府と衝突している(?)農家のグループが参加することになったという。この作品は、参加者たちがディスカッションを通じて理想の政府をつくって演じる、というプロジェクト。彼らの方から意見を表明する場を求めて、KARNABALにコンタクトを取ってきたらしい。
JKが、こんなことになっちゃって、アートは何ができるんだろうね?!ぼくはアーティストなのに、自分で自分の首しめてる!と大笑いしていた。

フィリピン日記 20160522

2016年5月22日(日)

最近のお気に入り・その1:Andi Eigenmann

日曜日。伸び放題で、もさもさ暑苦しい髪。切るなら今日しかない!と思い立ち、朝食を食べながら美容院を探す。洗濯物の受け渡しをして、JKの家へ。誰かにおすすめの美容院を聞こうと思ったが、オンラインで途中まで予約手続きをしていたサロン・ド・マニラからなぜか予約完了のメールが届いたので(ふしぎだ)、素直に行くことにした。時間がないのでタクシーでTomas Morato(トマス・モラト)通りへ。昨晩行ったCatch272にも近い。

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結論から言うと、えらい時間がかかった上にすっごく高かった…。特にヘアカラーとシャンプーのクオリティは、正直おい!と思った。色が違う上に、帰ったらシャツの襟元がピンクに染まっていた。唯一、カットだけは良かった。時間かかったけど。

金額は、日本で行く美容院とほぼ同じ。フィリピンの物価は安いというイメージがあるし、実際、食べ物や交通費などは安い。でも経済成長めざましく格差の広がるこの国では、高いものは高い。

フィリピンのホスピタリティの高さも日々実感することで、お店の人の対応などもとても良い。ただ日本の「気遣い」みたいなサービスのクオリティは異常に高いので、今の日本は「安くて高品質」な国なのだな、と実感した。

PureGold Jr.で両替をしてからJKの家へ帰るとリハーサルがあったようで、フィードバックの議論の真っ最中。聞いていたいと思ったが、ほぼタガログなので残念ながら理解できず。おとなしくホテルのカフェで夕食をとって作業をし、ショッキングピンクの泡にまみれながらシャワーを浴びて、寝た。

最近のお気に入り・その2:バニラのウエハース

 

 

 

フィリピン日記 20160521

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2016年5月21日(土)

今日は、AninoのTetaがKarilyo(Aninoがサポートしている学生の影絵劇団)による公開ワークショップ@The Musem of Contemporary Art and Design (MCAD)。朝8時にJKの家に集合し、通訳のKei君、JKの代理・Aaronとともにタクシーでタフトへ。

昨晩遅くまでテレビの仕事だったJKは珍しく体調を崩してしまったようで、咳き込んでいた。私も今朝から同じような症状。急に雨が増えて湿度が高くなったせいかもしれない。昨晩はホテルの壁も結露していた。

ワークショップは昼食をはさんで朝10時〜午後4時までの長丁場。ACAYからは、いつもの女の子たちに加えて“second chance”というプログラムで支援している男の子たちも合わせて、20人近くが来てくれた。
一般枠の参加者(15歳前後のハイスクール生や小学生など)も入れて30人くらい?Karilyoの学生たちもいたので、室内に若いエネルギーが充満している。

プログラムは以下の通り。ちなみに「パペット」は人形劇でいう人形、影絵の場合は影のもとになる物体のことを人型に限らず「パペット」と呼ぶ。

1.  Aninoの影絵上映&「影絵って何?」という簡単な紹介
2. 曼荼羅をつくる:何回か折った紙に切れ目を入れて模様遊び
―昼食―
3. SELF-“P”(puppet) をつくる:自分自身のパペットをつくる
4. 曼荼羅とSEL-Pを重ねた影絵を見せながら自己紹介
5. Karikyoによる影絵作品の上映

 

自分の作ったパペットをOHPに乗っけて、そこにまた別の人が自分のパペットを重ねていく。新しいパペットが入ってきたら古いパペットは場をゆずる。ただそれだけなので、組み合わせによって時たま(作った人にとっても)予想外の絵が生まれる。

SEL-Pと曼荼羅を合わせた自己紹介では、Karilyoの子たちが即興で指や水を使った演出を加えてくれた。ACAYの子たちはやっぱり「いいこと」を言いやすい傾向が気になったが、男女問わず凝った影絵をつくる子たちが多く、モチーフや構図もさまざまで、手先が器用だなと思った。

でもお互いの(質も内容もぜんぜん違う)影絵が組み合わさって予想外の絵が生まれる偶然性のほうが、自分としては好み。

この美術館はDe La Salle – College of Saint Benilde(聖ベニルド大学)という私立大学併設。昼食は最上階にある学食でとった。広々して、都会的な雰囲気。フードコートのような感じでいくつかの店舗が並んでいて、フィリピン料理や韓国料理の定食、コーヒーやマフィン、スナックなどもある。

この大学はホテルを持っていて、内装や建築学科の学生、サービスを観光学科の学生等に課題として学ばせるらしい。お金持ちなのだ。PHSA出身でこの学校に通いながらKarilyoに参加しているAaronの同級生にも何人か会った。彼らも影絵に(主に参加者の影絵づくりサポートとして)参加してくれるという。

終了後、同じグループで参加した子たち(ハイスクール=中学生くらいの子と、小学生2人)、ACAYから来た女の子・男の子たちと一緒に記念撮影。隣の美男子はこのブログにもよく出てくる、主にタガログ語の通訳をしてくれるKei君。

帰りのタクシーでは、疲れ果てて全員爆睡。JKの家に帰り着いてもくたくたで、居間のソファで昼寝。JKは体調がひどくなり、テレビの仕事をキャンセルしたらしい。みんなそろそろ疲れが出てくるタイミングなのだろう。

20時からCatch272 (Bobo)というバーでTetaと打合せの約束があったので、19時頃からカフェTHEO’Sで準備。今日のワークショップを踏まえ、プランを練り直す。
Catch272はもともとTeacher’s Villageの住宅街にあった、アーティストたちが集まるサロン的な隠れ家バーだったが、周囲から騒音の苦情があって今の場所に移転したとKei君が教えてくれた。

今日のワークショップの感想を交えつつ、Tetaと打合せ。改めて「死」というテーマを諦めたくないこと、参加者に与える影絵のテーマを複数用意する、という案を伝える。ワークの時にコーヒーとクッキーを用意したい、と話したところからお葬式の話題になり(フィリピンの葬式では一晩中起きているためコーヒーとクッキーが振る舞われる。クッキーは独特の巨大バスケットに入ったもので、見た瞬間にフィリピン人は葬式を連想する)、お葬式っぽい演出を空間に取り入れることに。

食べ物を用意したいと考えたのは、そもそも「カジュアルに進めたい」という理由と、複数の人から「フィリピンの人は招かれた先に食べ物があるかどうかをとても気にする」と教えてもらったからだった。実際「ランチはあるのか、持参するのか」と訊かれたり、ワークショップが終わったら食事が用意されていたりした。

バギオの山岳地帯で小学校を回った時、一日に何度もあった「コーヒーブレイク」がとても好きだった。みんながありったけの食べ物を持ち寄る様子も印象的だった。時間制限があるのでどうなるかわからないが、できたらあんな雰囲気でやりたい。

途中から合流してもらったDibaynはミュージシャンで、このバーの経営者の一人でもある。即興で音楽をつくるとか、ワークの最中に録音した音を使うとか、ぼんやりイメージしていた案が彼女の口から出てくる。しかも、ACAYの子たちと事前にワークショップをしたい、と申し出てくれた。ちょうど今週末の土曜をおさえてあったので、その場で決定。

来週の私のタスクは、なるべくいろいろなコミュニティの人を集めること、参加者の数をフィックスさせること、本番の流れを設計すること。通りまで見送りに出てきてくれたTetaが、「なんか…全部うまくいきそうだね!」と笑った。

 

フィリピン日記 20160520

2016年5月20日(金)

昨日・一昨日がちょいヘビーだったので、今日は作業日かなと思っていたら、朝、りっきーからメッセージ。以前紹介をお願いしていた映像作家のJohnが、今日なら会えるという。ありがたい。とりあえずすぐアポをとってもらう。JKはテレビの仕事で一日不在だと後からわかったが、りっきーが立ち会ってくれるというので心強い。

昼過ぎまで作業をし、Mainhawaへ向かう。お腹の具合は良くなったり悪くなったりで、あまり食べたくない気分だったが腹は減る。こういう時こそ、とMagiting通りのLeonaというカフェ・レストランで、以前から目をつけていたトマト・エスプレッソ。濃厚なトマトスープ、にんにくが効かせてあってとても美味しい。このカフェは安くはないけど、Maginhawa通りに比べると格段に静かでWi-Fiも飛んでいる。

午後4時、John Toressくんがやってきた。売れっ子の映像作家で、来日経験もある。ClydeとYenyenが2階のミーティングルームを明けてくれた。りっきー、ちからさんも一緒。Johnの撮っている実在の映画監督(故人)のドキュメンタリーの話、日本人チームそれぞれのプロジェクトのこと、日本生まれで日本語ペラペラのアメリカン・フィリピーノである奥さんとの馴れ初めなど、話が弾む。とてもフレンドリーで話しやすい人。あ、それで今日の本題はですね、とSOMATOの説明をし、興味を持ってくれそうな人を紹介して欲しいとお願いし、快諾してもらう。

Johnは、タクロバンを応援する歌を作った日本人・フィリピン人混合のビジュアルバンド(実在)の映画を撮りたいらしい。そのライバル(バンド)役で、りっきーや太田信吾さん(チェルフィッチュの俳優で、映画監督)に出演してもらいたいという。あっ、じゃありっきーはたこやき焼いてバンドもやればいいね、たこやきバンドだね、などと出鱈目な話で盛り上がったが、案外、来年のKARNABALで実現しているかもしれない。

彼の自宅はJKの家から徒歩10分かからない距離なのだが、車で帰っていった。マニラは本当に車社会。公共交通機関が少ない代わりにトライシクルやタクシーが多くて、みんな歩かない。暑いから仕方ないのだが。

なんだか疲れがどっと出て、午後7時くらいから11時くらいまで寝てしまった。過去2回のフィリピン滞在は2週間だったので、3週間目は未知の領域。過去2回の時は、一度くらいは「あー日本に帰りたい!」と思ったが(そして帰る時には、まだ帰りたくない!と思う)、今回は一度もそう思わない。お腹を壊しまくっても、都会の野菜が美味しくなくても(日本も同じだけど)。

たぶんこういう旅って、みんな学生時代とかにバックパッカーとかをやって経験するのだろうけれど、私はまったく旅人ではなかったので、いい大人になって何やってるんだ私…と思わないでもない。ただ、これでも仕事で来ているわけだし(ミッション的な意味で)、やることやらないといけないので、武者修行的マインドには陥らないよう気をつけている。つまり身の安全を絶対に確保することと、自分の身体でこそ踏み込んでいける場所に切り込んでいくこと、その境界線と必然性を見極めること。

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毎日通るのにどうしても名前が言えないMapagkawanggawa(マパッカワンガワ)通り。この前、銃が落ちていた。ちなみにタガログ語の影響か、あまり英語が得意でない人はローマ字読みみたいな発音になることが多い。Pure Gold Jr.(スーパーマーケット)のことを「ピュレゴールド」と言ったり、番地(number)を聞くときに「ナンベル?」と発音したり。かわいい。あとタガログ語には「po(ポ)」という、日本語の「です」「ます」みたいな丁寧語がある。「salamat(サラマット=ありがとう)」につけて「salamat po(サラマット・ポ=ありがとうございます)」という感じで使う。これを英語につけて「Thank you po(サンキュー・ポ=ありがとうございます)」とか「coffee po(コーヒー・ポ=コーヒーです)」と言うこともできる。かわいい。

語弊を恐れずに言えば、というかむしろ語弊を狙って言うが、フィリピンは相当かわいいと思う。もちろん日本語的な意味での「かわいい」なので、フィリピンの人に言っても伝わらないだろうが。ジャパンがクールなら「かわいいは、フィリピン」という観光キャンペーンのひとつも打てそうなくらいだ。チャーミングで、愛おしくて、哀しい。そしてきっと「かわいい」と思うのは受容でもあるけれども、優越しようという感性に違いないのだ。私はここでは言葉も不自由な外国人であることで、かろうじてバランスがとれている。というか私もまた、この国では「かわいい」存在だったりする。恐らくこれは現場と日本から見た印象にギャップがあって、日本にいる人たちからは、私がやっていることは何か「いいこと」に見えるのかもしれない。そんな先入観の面倒まで見てらんねーよ、っとまでは思わないが、今のところそのズレを修正する方法は私にはわからない。むしろ、悪とか毒である恐れのほうが高いと思うのだけれど。(ただ、そのことを自覚し続ける限り、私は彼らを害さないよう踏みとどまることができる、と思う)

一方で、格差が激しいこの国でその格差を前提として振る舞うことも理にかなっていて、ごく自然でもある。この「かわいい」と、私はどう折り合いをつけたらいいんだろうか。